声を聞く

死を悼むこと。その決まった型を真似たくもあり、反発したくもあるが、どっちにしても、どうふるまったらよいか悩まされる。気持ちに従って、悲しみを表現すべきだと思う。しかし、関係性が希薄で、全然気持ちが伴わない。かといって、馬鹿にしてるわけじゃなく、お悔やみはお悔やみとして執り行いたい。実質を大事にしたいRyoji☆が形式しか振る舞えず、どうしていいのか、言葉少なく、失礼ない振る舞いをしないように緊張しながらぎこちなく苦痛。

FゆFゆが、「声を聞いたら、その声に従わないといけないという思い込みをしてる人がいる。そういう人は、声を上げること自体を封じ込めようとする。」「声を聞いたら、それを扱わなくちゃいけないって思い込みをしてる人がいる。そういう人は声をただ受け止めるってことを拒否する。」
Eりおちゃんが「ゴーストが現れる時、それはもしかしたら聞き入れて貰えなかった声が形を変えて現れている時かも知れない。」と指摘して下さったのは最もだと思う。


ちゃんと声を聞く。同意する必要はない(したければ、してもよい)。共感する必要はない(したければ、してもよい)。ただ、存在を認め、敬意を払う。確かにあると。そして、会話が始まるのだ。