<2/14「コーチングはどのように広がってきたのか? CTIの非公式な歴史からみるコーチング」を聞いて>

こういう歴史話は大好き。
ランダムに気になったことを挙げてみる。

・源流は、1990年代のアメリカ西海岸のヒューマンポテンシャル運動にある。
 =>1年前に基礎コースしか参加していないたっちーが言い間違えていた「NCRW」の元はここ。
  つまり、カール・ロジャーズの考え方に源がある。
  きちんと聴いてもらった時、人は自由になる という確信。カール・ロジャーズの研究者によると、「静かな革命」と呼ばれる発見があった。


CTIでは、この行為をそもそも「コーチング」って言ってなかった。

・最初期のCTIのコースは、基礎コースの後、Doing編とBeing編しかなく、両方を取ることは求められていなかった。Doing編だけを取る人が圧倒的に多かった。

・イギリスでの「インナーゲーム」がコーチングのスタートか?
 =>良治の知識だと、もう一つの流れが、税理士から。お金の使い方を訊いていくと、どう生きたいのか?に繋がったと聞いている。

CTIの活動が先で、後からICFが誕生した。

・今回のイベントをデザインしたCTI側のハッシーとけいこさんのプログラムでは、アメリカではどうなってきたのか?日本ではどうなってきたのか?これからのCo-Activeって何だろう?の3つからなっていた。

アメリカから日本へ伝わってくる時、偶然としか思えない出来事がいくつも重なって、口コミで広がってきた。
 =>ここ、CTIの言う「直感」とも繋がる。
 こういうエピソードの連鎖を聞くと、「Co-Active」って大切にしたい概念がある種生き物として大切に手渡されて来たとも感じる。
たっちーは「進化思考」を書かれた程で、この偶然の連鎖による進化というのはとても興味深い点だと思う。シンクロニシティとも言っていいんじゃないか?

・となると、Co-Active Coachingの大事な要素は、場からの影響に敏感であり、それをサインと考える思想。これはネイティブ・アメリカンの思想に繋がる。

・日本ではCMを23年間一度もうったことが無かった。口コミで広まって来た。今回、ハウル新社長の判断で、初めてCMを打つ。

・こうやってCo-Activeの歴史を振り返ると、Co-Activeは常にその時代の精神ともCo-Activeの在り方を変えてきた。

ORSC 15th Anniversary Ceremonyに参加して

2024/1/28東京ミッドタウン八重洲で開催されたORSC 15th Anniversary Ceremonyに参加した。

ここまでORSC JAPANを牽引してくださったゆりさんが2023年12月で退任というサプライズもあったものの、この15年でORSCerが600名近く誕生したということ。そして、そのメンバーが集うと、こんなパワーになるということに驚きを禁じ得なかった。

良治の個人史としては、娘の誕生と共に子育てに専念した12年であり、こうしたつながりから意図的に身を引いた時間だった。この4月に娘が中学生になるのを気に、再びこうした活動に顔を出そうとスタートとなった。

相変わらずの人見知りで、これだけ沢山の人がいると、居心地が悪くて仕方がない。どうしても輪から外れた安全な所から観察していたくなる。
こうした指向はどうしようもなく、込み上げてしまう。
以前は、「こういう良治はダメだ」と思って、さらに良治で良治にダメージを与えていたけれど、今回は、「もう自然とそうなっちゃうのは良治だよな~」って、良治に許可を出すことができた。

だから、悪いけど「ORSC15周年を祝う」という意図よりも、リアルでの繋がりが切れてしまっているかつての懐かしい仲間と再会したいという想いの方が勝っていた。

しかも良治の時間軸だと、ORSC勃興前夜とスタート直後の印象と、今が接続している。
胡蝶の夢から覚めたら、突然こんなことになっていた という感覚がある。

ORSCが扱う、関係性という目に見えない何か?そのお陰でつながり合うことができず、苦しんできた沢山の事例。しかし、それを扱う難易度と、それを大事と思い、時間と労力をかけようとするクライエントがいるのか?という成り手とお客さまがいるのか?という2大難点のため、まったく先が見えなかった。
実際、今回の終了の祝福タイムの時に、ORSCerに関わって貰ったばっかりに、やっとの思いで採用した50名が30名に減ってしまった時は「どうしてくれるんだ!」と思ったと言う声も出ていた。

そしてファカルティによるこれからの15年に向けて、取り入れたい8つのメタスキルのうちに、「宇宙(コスモス)」があった。実にらしいメタスキルだ。

今まで日本社会が是としてきた合意的現実(CR)からは明らかに外れている。でもシステムの声に耳を澄まそうとしたら、確かに「宇宙(コスモス)」のメタスキルは必要なのだ。

20ほどのグループに分かれて、ORSCを知った私たちに何ができるか?を語り合った。
教育と社会をテーマにしたグループで語らせてもらった。「教育」というテーマほど、革新と保守、ステークホルダーとして、児童生徒・教師・教育委員会・親・地域の人・政治家が入り乱れており、みんなよかれと思うことをやろうとして、ぶつかりあっている。仕事柄ずっとウォッチしてきたけど、どこからどうしたらいいのか?ほんと分からない。で、誰かが革新しようとすると、必ずそれを阻むステークホルダーが立ち上がるという厄介な構造がある。言論だけの空中戦となると、絶対に合意できない。ORSCこそ、一歩引いて、今どんな声がこだまする空間に私たちがいるのか?俎上に載せてくれる。見たくない現実をみんなで見ることから始めないと、必ず揺り戻しにより、改革は阻まれる。厄介なのは、技術的には、時間と場所を選ばず、学ぼうと思えば学ぶことが可能となった初めての時代に私たちは生きることになったということでもある。教師は、教える役割から、学びを支援するファシリテーターへシフトする必要がある。

ここまでくると、次の15年は、これまでだったら「絶対無理!」と思ってきたことが、「ORSCを知っている私たちだったらきっとできる!」という新しい扉が開く気がする。

 

予祝という動きと想定を超える実現

Twitter関係で流れてくるタイムラインで、「予祝」をやるコーチがいると知った。全然詳しいことは知らないし、「苦悩マン」と呼ばれた身からすると、「こんなことが起きたらいい!」と未来を思い描くこと自体に非常に抵抗がある。そんな希望的なことを思っても、「こういう不測の自体が起きたらどうするの?」と、すぐに自分で自分にツッコミを入れるのが自然体なので、こうしたビジョンをポンと出す行為自体、縁遠い。続々と「サポーターになります!」とか、「3/15にこんな一日になっているはず!」という臨場感溢れる予祝のブログ記事を読んだりすると、自分とは違うのだなぁと他者を感じる。

で、そんなことを漠然と思っていた時に、2023/11/3にコーチ仲間と高尾で焚き火合宿をしたことを思い出し、忘れないために書き留めて起きたくなった。

 

コーチ仲間と2年近く、「ツインエネルギー」という本の読書会を月1回開いて来た。

関 京子「ツイン・エネルギー 静と動のバランスを整える16の考え方」幻冬舎メディアコンサルティング 2021.9.
https://honto.jp/netstore/pd-book_31190597.html

で、読書会自体は終わりとなったのだが、お互い「このまま終わるのが惜しいよね」という話になった。で、リアルに会って焚き火合宿をやろうとなった。

これは完全に想定外。読書会自体は発起人として毎月案内を皆さんに送っていたけれど、この参加しているメンバー内にあったエネルギーが形になったこのイベントは、完全に手を離れた感覚がある。これまでみんなを引っ張っていたポジションから、みんなに引っ張られる立場へ切り替わった。

で、この実際の合宿が素晴らしかった。

メンバーそれぞれが自然体で、「私やる!」とみんなにとって必要な行動を次々起こしていき、気持ちがいい。宿を調べてくれる人。サッサと宿の予約をかけてくれる人。お菓子を持って来てくれる人。卵アレルギーのメンバーのために朝食のオーダーを変更してほしいと申し入れる人。

で、実際に始まった焚き火合宿も素晴らしかった。屋上に出て星を眺めたのもよかった。

翌日、オプションとしていた高尾山登山も楽しくすることもできた。

 

で、なんでこんなにも嬉しかったのか?終わった後、振り返った。

 

2002年CTIの応用コース、フルフィルメントで、ヴィジュアライゼーションというワークを行った。ほんとこうした「予祝」系のワークは苦手で、全然20年後の未来なんて思い描けなかった。

 

でも、実感したのは、この焚き火合宿は完全に想定外だった。「起きてくれたらいいな~な」って想像の範疇を超えた出来事だった。だから当然、「予祝」出来なかった。

 

で気がついた。

コーチングを受けてゆっくりと実感したJijiの特性は、自分一人で何かできるとか、優れているってのがほぼない。人と関わって初めて役立つ力。(会社勤めの身としては、ToDo系は平均的。ToBe系が得意なんだけど、それはそういうポジションを振ってくれるプロデューサーがいて活きる力で、殆ど発揮出来ていない。)

きっとJijiにとっての喜びって、それと同じで、誰かに運んで来てもらうことかな。誰かをサプライズさせるお祝いって好きだけど、まさか逆にJijiがそれを受ける立場になろうとは!
人生の転機を考えても、大抵そうだった。だから、自分の力で自己実現って迫られても全然ピンとこない。他力本願。

であるならば、今回と同じように、周りにプロデュースをお願いするってことが大事らしい。こんなにぶっきっちょでどうしていいか分からないから、助けてほしいって言い続けること。
なんだか社会人になって、何とか自立しようと頑張って来たことの真逆過ぎて、それじゃあ幸せになれないのだよって改めて自覚した次第。

 

善き友をもつということ

幸せに生きる上で大切なことは何か?

お金?伴侶?仕事?

いろんな要因が考えられるので、決定的に「これだ!」とならなかった。

しかし、このお経を読んで、おや?と思い、少しずつ「そうか!」と納得した。

コーチングを学び実践する中で、実感したのは、メタ認知は難しい。でも、メタ認知さえできれば、だいぶいい判断が人は可能になるってことだった。

で、自分で自分自身のことを知るのは難しいけれど、他人から見たら、私がどうなっているか?知るのは簡単。まるで頭隠して尻隠さず状態。

2023/11/23大学院生の修士論文の途中報告2つを聞く機会があった。お二人ともしっかりやっていらっしゃるのが伝わってきた。ここまで来るのも大変だったと思う。しかし、ありがちな沼にはまっているとも感じた。つまり、大きくこの論文で何を証明し、何を訴えようとしているのか?メインの問いへの答えを失っている気がした。研究のことなぞ何も知らない素人だからこそ、なんかメインの問いと関係ないことをいろいろやっているし述べているけど、肝心なことに答えてないって感じた。

コーチングでも、コーチ相手の自分語り(ナラティブ)をすると、自然とどこが急所か?語っている本人は渦中だからわからないけど、外野のコーチにはよく見える。それを指摘してくれるのが、善き友ってつくづく思う。

そしてこんな素敵な言葉を後世に残してくれたブッダって、すごいなって思う。

 

28 善き友をもつということ-僧伽 

相応部経典 45,2 半
阿含経 27,15 善知識

ある時、仏陀は、サーキヤ (釈迦族のすむサッカラという村にとどまっていた。その時、アーナンダ(阿難)が、仏陀に問うて言った。
「大徳よ、よくよく考えてみますと、わたしどもが善き友をもち、善き仲間とともにあるということは、すでにこの聖なる道のなかばを成就したにひとしいと思われます。この考え方は、いかがでありましょうか。」
仏陀の弟子たちは、そのように、師の教えるところをわが身にあてて考え、その所得を呈して仏陀の裁断を求めるというのが常であった。今日も、アーナンダは、日ごろ師の語りたもう善き友をもつことの重要さにつき、その思うところを呈して、その教えを乞うたのである。
「アーナンダよ、それはちがう。そういう考え方はただしくない。アーナンダよ、われらが善き友をもち、善き仲間とともにあるということは、それは、この聖なる道のなかばにあたるのでなく、まったくそのすべてなのである。」
アーナンダは意外の面もちであった。彼は、善き友をもつことが、この道のなかばにあたると言っては、すこし言い過ぎかも知れぬとこそ思っていた。しかるに、仏陀の裁断は、それでもなお足りないということであった。いや、そのことは、この仏道のすべてであるとまで、仏陀は仰せられる。アーナンダが意外な面もちをしていると、仏陀は、さらに説明して、このように教えた。
「アーナンダよ、善き友をもち、善き仲間とともにある比丘においては、かれが聖なる八支の道(八正道)を習い修め、ついに成就するであろうことを期して俟つことができる。その故に、このことは、この聖なる道のすべてであるというのである。
アーナンダよ、これを考えてみても解るではないか。人々は、わたしを善き友とすることによって、老いねばならぬ身にして老いより自由になることができる。病まねばならぬ身にして病いより自由になることができる。死なねばならぬ人間でありながら、死より解脱することができる。
アーナンダよ、このことを考えても、善き友をもち、善き仲間とともにあることが、この道のすべてであるという意味がわかるはずである。」
ここに、善き友をもつ、善き仲間とともにあるというのは、僧伽を意味する。仏・法・僧の僧 三宝という、その僧である。聖なる道を求める人々のつどいである。そして、そのつどいの重要なることは、仏にも、法にも、劣るものではないのである。

(1) 大徳 bhadanta の訳。 幸あれの意。聖者によびかける語。

増谷文雄「仏教百話」筑摩書房 1985.12.
p66-p67
https://honto.jp/netstore/pd-book_00374197.html

鈴木宏昭「私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化」1章と2章の振り返り

鈴木宏昭「私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化」1章と2章の振り返り

honto.jp

<1章 能力という虚構>の要旨

「能力」という考えは、アメリカのプラグマティズムに乗っ取っている発想。例えば、「計算が解けた」という事象を観察した時に、計算を解いた人には「計算力があったから、計算が解けた」と考え、その人には「計算力がある」とする。これは論理学から考えると、「逆は必ずしも真ならず」である。つまり、「「計算力」なんて関係ないかも知れない可能性を含んでいる。かつ、「力」というメタファーが、誤解を巻き起こす元になっている。

実際の「能力」(測定可能な創発から見る認知変化)は、(1)文脈依存(2)不安定 いつも同じ力が出せるわけではない。 (3)揺らぎの中から習熟していく という特性を持っている。(これからの章で詳述していく)

従って、教育改革の時に挙げられる「思考力」「判断力」「表現力」「非認知能力」といった概念は、どれも「力」のメタファーに依っており、これを元に考えて教育改革を行うのは、科学的には非常に危険。


<2章 知識は構築される>の要旨
ここでは、一般的な「知識」ではなく、(1)有用であり、(2)コト的知識として定義をし直したい。

(1)「有用」とは、1)一般的、2)関係的、3)場面応答的 であることを指す。

私たちが一般的に考える「知識」とは「モノ的知識」。
モノそれ自体がどうあるか?の記述。
それがどう立ち現れてくるか?は関係ない。

(2)そうすると、「知識」は構成的になる。
それは、当然、五感=身体知を通じての「知識」となる。
言葉にならない何か?(フォーカシング的に言えば、ボディセンス)をシミュレーションしている。
(スポーツのイメージトレーニング)
そこに言語が絡んで、概念化される。
つまり、言葉にならない何か?>それを概念化>それを意識的に操作 という段階を経るコト的知識。

 

 

ツインエネルギーって何か?

「ツインエネルギー読書会」で追求している「ツインエネルギーって何か?」についてうまいこと言うなぁって文章を見つけました。

たぶん世界の真理としてはブッダが看破したように「諸行無常」(仏教の根本的な理念を示す旗印である三つの教理。三法印諸行無常諸法無我涅槃寂静)であり、事実は事実で、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、「生きる」ということは、そこに彩りをもたらすこと。

毎回読書会で同じこと言っているのは、 
私たちはツインエネルギーのうち、一方のエネルギーしか使わず、何とかしようとやってきになっている。だから行き詰まってしまう。だから、ツインエネルギーを知り、自分の利き手でない方のエネルギ-の使い方を知れば、格段に人生は生きやすくなる。

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二項対立、どちらか一方が優位で他方が劣位である二項対立によって物事をさばいてい
くのが表の思考ですが、それは言い換えれば、世界の物語化です。善と悪を分け、有用と無駄を分け、清潔と不潔を分け、愛と憎しみを分け、そこでの選択の迷いや希望や後悔をあれこれ語るのが「物語」であり、典型的な近代的小説の構造です。
しかし現代思想は、そういった物語の水準に留まっていては見えないリアリティが世界
にはあるということを教えてくれます。無意味なつながり、あるいは無意味という言葉が強ければ、物語的意味とは別のタイプの意味、とも言えるでしょう。なかなかこれを考えるのは難しいかもしれませんが。


千葉 雅也「現代思想入門 (講談社現代新書)」講談社 2022/03
https://honto.jp/netstore/pd-book_31527210.html

結婚10年以上を経て、彼女とよい関係でいるための秘訣

以下の記事を紹介したところ、Zヒーから「Jijiの実践状況も共有してほしい。」とリクエストを受けたので、敢えてどんなことを考えてやってきたか?学びと実践を書いてみよう。

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恋愛関係を維持するコツ。心理学者20年の研究結果。
https://tabi-labo.com/284647/relationship-super-strong

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結婚してから2年ぐらいは、ギクシャクした関係が続いて、辛かった。
お互い相手のことが好きってのは、結婚までのプロセスで確かめられた。
でも、実際に一緒に暮らし始めると、踏み込んで本音を語るってことが、
「察してよ」って想いもあり、厄介だった。

なまじコーチングを学んだため、二人の関係性を言葉にして明確化して歩み寄ろうとするJiji。一方、彼女はそうしたやり方に馴染みがないし、なんでわざわざ他人に介入させるの!って懐疑的だった。

お互い、近寄って暖まりたいのに、とげが邪魔して、近寄れないハリネズミのようだった。

Jiji得意の学ぶ力を総動員して、夫婦関係の本を読み漁った。

中でもワシントン大学心理学の名誉教授ジョン・ゴッドマンの研究は衝撃だった。 

夫婦の会話を15分分析しただけで90%の確率で、15年後に離婚しているか?どうかを言い当てることができる。

マルコム・グラッドウェル「第1感」光文社 2006.3
https://honto.jp/netstore/pd-book_02649071.html

「第1感」を読んだ時、衝撃だった。しかも、親しげな様子や、普段から何を話しているとかは関係ないというのも驚きだった。なんとしても彼女とそういった関係性になりたく無かった。

そこで学んだのは、彼女との長い関係性においては、(1)どうしても許せないことがお互い残り続ける。(お互い様)(2)そこで相手を批判しても、関係性を悪化させるだけ。(お互い様)(3)危険信号が出た時に、回避するすべを身につける必要がある。(4)同時に、愛を育む行動が大事。

で、(4)が分からなかった時に、FゆFゆに勧められて読んだ、以下の本が役にたった。

"愛を伝える5つの方法"
https://blackcatjiji.hatenablog.com/entry/20120809/1344520172

1.肯定的な言葉
2.質の高い時間(クオリティ・タイム)
3.贈り物
4.サービス行為
5.身体的タッチ

実は、Jijiの愛情表現は、5>1>4>3>2。
一方、彼女の愛情表現は、2>3>4>1>5。

とても辛かった原因は、Jijiは5が最大の愛情表現だと思って、彼女にベタベタするのに、彼女から「何すんの!」と拒否されること。これには深く傷ついた。

お互い、受け取りたい愛情行動と、与えようとする愛情行動が違って
「なんで伝わらないの?」と苦しくなっていた。

よくわかんないけど、2なんだ!と観察した結果わかったので、なるべく土日にカフェに連れだし、お茶を飲んだ。Jiji的には、ただお茶飲むだけで、ボーってするのは無駄の極み。何か意味ある対話をしなければとプレッシャーだったけど、逆に何もしないというのはそれはそれで不安だった。しかし、結果として、彼女が喜んでくれたので、ホッとした。

最初の記事に戻って、○△×で実践具合をチェックしたら、○14 △5 ×1となった。

×なのは「16 絶対に見返りを求めない。」
これは頭では、そうした方がいいってわかる。もし実践できると、彼女がやってくれる一つ一つが感謝となる。 でも、そうは言っても人間だもの。こうしたら、こうしてくれるだろうって打算がないとなると嘘みたい。

「5 パートナーが話している時は、すべての集中力をそそぐ」は注意している。会社でも同じ。手を止めて話をしてきた方を見るように心がけている。逆だとわかるのだけど、片手間扱いは、大切に扱われていないことを如実に示す。

「2 たまには、お気に入りの花やお菓子を買って帰ってあげる」。当初はこれが苦手だった。試行錯誤するうち、彼女は花より食べ物を喜ぶとわかった。当然、高い物は無理。だから、鯛焼きとかワッフルとかほんとに安いお菓子を月1度買って帰っている。

「17 ときには、パートナーをひとりにしてあげる」。彼女の場合、定期的にお友達と会ってランチ会をしている。そういう時は、娘の世話を引き受けてるし、友だちに会うことを応援している。

「18 どうしても「怒り」を言葉にするときは、細心の注意をはらって」。これはほんとそうだと思う。

「19 家事はふたりの仕事」これはよくネット記事で、夫が妻に言いそうな言い方。それを聞くと、まるで家事は妻の仕事みたい。

「20 すべてを受け入れる」究極的にはその精神。