〈コダックと富士フィルムの興亡に学ぶ、人生の転機で必要な決断〉

 コダック富士フィルムも、カメラのフィルム事業で冠たる企業だった。しかし、デジタルカメラの勃興により、両者ともフィルム事業から撤退。コダックは倒産した。
興味深いのは両者とも、実はいち早くデジタルカメラに投資。当時初期のデジタルカメラ開発に成功していた。つまり、まさかここまでのスピードでフィルム事業が消滅する、とは思っていなかったかも知れないが、変化を見逃したりせず手は打っていた。
では、なぜコダックは倒産し、富士フィルムは存続出来ているのか?
(「写るんです」のヒットは記憶にある。)

 当時の社長だった古森重隆さんが当時何を考えて経営をしていたのか?
徳力基彦さんがレポートしてくれている。
https://note.com/tokuriki/n/n9fd1258138c9

 この記事から良治が読み取ったのは、
(1)現状認識の差:コダックはこの変化は部分的と考えた。富士フィルムは不可逆で事業そのものが消滅すると考えた。
(2)対応の差:コダックは変化を小出しにし、市場消滅のスピードが事業転換のスピードを上回った。富士フィルムは、フィルム事業の撤退と、成長できると思った事業へ思い切って投資し、人も異動させた。
(3)未来への大局観の差:コダックは既存事業の損切りができず、対処療法に終始。未来をこうしていくと打ち出し切れなかった。
プロスペクト理論:「人は損失を避けたいと思うあまり、合理的ではない選択をしてしまう」に嵌まった。
富士フィルムは、自分たちの強みはここにあり、この成長市場で勝負すれば稼げるとビジョンをリーダーが描き、従業員と共有し、危機を乗り切った。
こういう大きな変化の時ほど、原点。自分たちは社会にどんな価値を届けているのか?に立ち返り、定義し直した。

これは個人の人生でも応用できる。
特に人生100年時代に突入し、誰しも65歳以降、もう一仕事をして稼ぐ必要がある。
(1)現状認識:この変化は不可逆であり、避けられないと認識する。
(2)対応:不可逆な未来から、今をバックキャスティングする。昔のようにこれまでの人生の経験により、若者から頼られる知恵は、ほぼ役立たない。しかも、昔は高齢者は稀少だったが、今は周り中高齢者だらけで、歳を取っただけでは、役に立たない。よって、リスキリングをするしかない。
(3)未来への大局観:現状を棚卸しする必要がある。これまでの取りあえず挑戦して、適性があるか?無いか?確かめる方法は効率が悪い。体力もそこまでない。逆に、ここまでで、自分の強みがどこにあるか?明確化し、そこを軸に広げられないか?シナジーを目指す。あれもこれもではなく、シナジーを意図して、相性が悪ければ素早く撤退することも大事。

<「愛を伝える5つの方法」を読んで>

 こうして愛の5つの言語を知り、各自が「どれに愛を感じるか?」をシェアすると、「えぇ!それに愛を感じる」し、「それをされても気持ち悪いだけなの?」とあまりの違いに絶句って感じでした。そして、いたるさんがおっしゃる通り、「受け取るなら『これ』」、「伝えるなら『これ』」と、「どう愛されたいか?」「どう愛したいか?」も異なるようです。厄介なのは、私たちが自分の好み(愛の言語)を普遍と思い込むこと。こうして話すと、「人により違う」って分かる。相手を大切に思うなら、ちゃんと相手の好みを知って、それを提供するようにしないと、かえって二人の仲を悪化させてしまう。

 Iさんが本文から引いて下さった部分も印象的でした。
「恋と『真実の恋』は違う」との主張。p37 Jijiの表現だと、「恋と愛は違う」って言った方がしっくり来ます。Jijiの理解では、恋は環境による所が大きいし、現状認識が狂いやすい。まさに「恋は盲目」。燃え上がるイメージ。一方、愛は、相手に対して「いいことばっかりじゃない」って冷静に受け止めている。そんな「ここなんとかして!」と思う部分もありながら、「でもこの人のこと。とても大切。」「この人の喜ぶ姿が見たい」と、行動を起こし続けられるか?
 アメリカのカップル研究で有名なゴットマン博士は、5分ビデオを撮らせてもらい、分析させて貰えれば、そのカップルが離婚するか?91%の確率で当てられると言う。

ジョン・ゴットマン ナン・シルバー「結婚生活を成功させる七つの原則」第三文明社 2007.12.
https://www.honyaclub.com/shop/g/g12414805/

 愛する相手と一緒に生活すると、2割は好感。4割はまぁ妥協出来る。2割は「私には許せない」って相手の行為領域が出てくる。何をゴットマン博士が見ているか?この相手を許せないと片方が感じる時に、そこを二人でどう乗り切るか?を見てる。そこに首を突っ込んでしまうと喧嘩になるのは必定だし、何とかやり過ごしても日々過ごしていれば段々蓄積し、「もう一緒に居られない!」とエスカレートする。だから、長続きするカップルは、そこに話が行きそうになると、話を逸らせたり、曖昧にしようとし、衝突しないようにする。
「選択の科学」のエピソードに、恋愛結婚と社会的に決められた結婚のどちらが幸福だろうか?って選択の例が出てくる。なんと著者のご両親は親同士が結婚を決め、結婚式まで結婚する当人の二人は会ったことも話したことも無かった。で、著者曰く、仲の良い夫婦とのこと。逆に、大恋愛の末に結ばれた二人が数年後に離婚なんてことはある。恋愛と性愛と社会制度としての結婚は別ってのは、そうだと感じます。
 ここでも、恋と愛の違いが出ている。愛とは意思をもった選択の積み重ね。お互いに関係性をよくしようと努力した結果なのだと思います。

シーナ・アイエンガー選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 文春文庫」2017.7.
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また、Iさんが引用された p89 四海型とせせらぎ型の違いも面白かった。
せせらぎ型は口の門から言葉が出て行くタイプ。四海型は海のようにいったん言葉を身体に溜めてから出すタイプ。jijiは明らかに四海型なので、ある程度ポツリポツリと話す方が落ち着きます。

 


ゲリー・D.チャップマン チエ・ディフォーレスト「愛を伝える5つの方法」いのちのことば社 2007.9.
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〈オープンダイアローグと街づくり〉

 8/6オープンダイアローグ・カレッジで、福岡県福津市津屋崎で15年近く街づくりに取り組まれている山口寬さんのプレゼンがあった。
 話を聞くまで、「オープンダイアローグと街づくり?」と二つが繋がらなかった。話を伺って納得したし、逆にやられた感があった。
 「オープンダイアローグ」と「街づくり」の繋がりは多声性(ポリフォニー)の重視にあった。
 例えば、コミュニティ・スクールの話題となれば、大人と子ども。昔から住んでいる住民と移住してきた住民。子育て親と子育て終わった人。大人って完璧なんでもできるって思い込んでる子どもと、ドジばっかりで成長しないと思ってる大人などなど。
言い方を変えると、少しだけ手を加えるだけで、これまで言葉を交わそうとしなかった者同士を合わせ、会話して貰う。
この現象って、森に入って自然を見れば当たり前。どの植物も懸命に生きて、周囲とコミュニケーションしている。結果として風通しがよくなっている。

高田宏臣「よくわかる土中環境」PARCO出版 2022.8. 参照
https://www.honyaclub.com/shop/g/g20644294/

人はなぜか?誰か混ぜ合わせる工夫をしてくれる人がいないと、全く対話をしようとしない。(風通しが悪い)

 山口さんが15年前に立てた誓いが胸を打った。この津屋崎でも環境問題に熱心に取り組んでいる方もいる。その方のボヤキとして「なんでみんな{環境問題に}関心を持ってくれず{イベントに}参加してくれないのだろう?」それを聞いて山口さんは、街づくりを目指す自分にとっては順番が逆じゃないか?「自分が自分が」と、自分起点では街づくりではないだろう。街の皆さんのお困り事に対して、「それだったら私手伝えます!」って、あくまで主体は街の皆さん。自分が主体ではないはず。

 それを聞いた一緒にゲストとして参加されていた、熊本県合志市のほしのマロニエこころのクリニックの善光寺さん。(社会人2年目)日々の仕事に追われて、街へ。近所の人に声かけてない。この街のクリニックで自分が働く目的は、大きな病院に行くには敷居が高い人たちへ気軽に心の問題について相談してもらうためだったはず。(専門用語でアウトリーチと言う)山口さんの話を伺って、開設して一年必死にやってきたけれど、プラスして、自分たちから合志市の街の人たちへ会いに行きたいとおっしゃっていた。

 この姿勢は、1960年代、従来の公共図書館のイメージを打ち破るべく、まずは移動図書館車で、街の人に本を届けに行こうとした公共図書館アウトリーチの試みとダブる。現在では、首長さんの理解も進み、大型の図書館が建設されるようになった。(そんな恵まれた時代展開がありながら、多くの現在の公共図書館の担い手たちは非正規雇用が普通になり、日々の業務に忙殺されて、とてもアウトリーチ出来ていない現実がある。)

 そして、良治にはこの山口さんの言葉は、長年良治の中で、うまく表現出来なかった何かを言い当ててくださった衝撃があった。良治の志向性も全く同じだ!

 いろいろ探求した結果、良治の強みは、誰かをリードをするってよりは、場に起きていることを言語化することにあるとわかった。これって実に厄介。誰かと一緒にいる時にだけ発動する強みで、良治単体だと機能しない。説明しにくい。だから、コーチとしてクライアントさんを募集していますと言う時に、何を持って他のコーチと差別化するかの言語化で、ハタと止まってしまった。

 そして、山口さんが、この街に対話をもたらすってのは、30年かかると思って取り組んでいるとおっしゃっていたのも、我が意を得たりの発想だった。(今ちょうど15年で、やっと半分なんですって…)

 良治も、関わるんだったら伴走したい。人の変化ってほんとすごくて、感動する。
であるなら、真摯に自分に向き合おうって人にコーチングしたい。良治もほんと迷いに迷い、なんでこんな寄り道しまくったってぐらい。そこは自信がある。(どういう自慢?!(苦笑))だから、寄り道、逆走大歓迎。いくらでも付き合える。でも、とにかく真摯にもがくことが条件。

 山口さん曰く、「3年はひたすら話を聞いて」とのこと。そうして、認知されると、やがてポロッと「実はこんなことで困っているんだ」って話が出る。そうしたらしめたもの。「それだったら私手伝えます!」 で、そんなことを繰り返していると、やがて、「何か困ったことがあるなら、山口さんに相談してみたら?」になった。

 山口さん。3年目に、地元の消防団と商工会議所で、「何とか地元をよくしよう!」と活動しているリーダー的存在の方が会いに来てくれたそう。その方から言われたのは、あなたのことはここへ来た当初から聞いていた。私からすると、あなたのやり方はスマートで実にかっこいい。嫉妬してたし、そのうち居なくなるだろうと思っていた。でも3年経ってもあなたはここにいる。そして、目指す所はどうやら一緒らしい。であれば、一度話したいと思ったとのこと。実に嬉しかったそうだ。(山口さんの嬉しかったドヤ顔が目に浮かぶ)そしてその後、その方とはすっかり仲良くなった。

 山口さん曰く、3年間は田を耕すんです。いい作物を育てようと思ったら、土台の土がしっかりしていないと。そのためには準備が必要なんですと。

津屋崎ブランチ
https://1000gen.com/

ほしのマロニエ こころのクリニック
https://hoshino-maronie.com/

都立現代美術館「翻訳できない私の言葉」展を見学して

4/29都立現代美術館に、ここ数年振り返りの本の読書会をしてるメンバーと一緒に「翻訳できない私の言葉」の企画展を見に行った。

昔から芸術って奴は苦手。良治の思考の癖で、「それってどんな意味があるの?」と探しに行ってしまう。ところが、芸術って、良治視点だと、「なんでこんなにも時間をかけてこれをしたかったのか?」意味を見つけ出せないことが多い。すると、思考の癖は止められないので、延々「なんだ、これ?!」ループが続く。そのため疲れしまう。だから、わざわざ良治自身から探索に行こうとは思わない。

この振り返りの読書会で気が付いたのは、越境することの大切さ。敢えて自らの意思で越境する。十中八九学べない。でも、敢えて異界に身を浸し、揺さぶりをかけることは大事。だから、誘われて「奇貨だ!」と思った。

この十数年のコーチングを巡る探索の旅は、今回のテーマである「『翻訳できない私の言葉』をどうやって言葉とするか?」を巡る旅とほぼ同様。何とか言葉にする悪戦苦闘の軌跡と言っていい。そして、最近ここに言葉にした後、言葉を身体に入れ直して、初めて完了となるって、AEDP のメタ・プロセッシングから学んだ。
この時の「言葉」はまさに魔法なのだ。
明確に「言葉前」と「言葉後」では心象風景は変わり、苦悩は静まる。

5名の展示は触れ幅が大きくて、理解を拒む。

キーワードを列挙すると、
母語って何?自然体と言葉。母語と一次言語と私らしさ。言葉を引き継ぐ/引き継がせない。言葉を引き継がせない苦悩/引き継がれなかったことでのルーツの喪失感。言葉は私らしさであり、かつこの世界からの拒絶を感じさせ続ける原因。言葉を学ぶのは「偉い?」。紋切り型のディスコースは「私」の苦悩を救いとらない。逆に、理解のされなさに絶望する。一次言語の習得は大変。「ここで生きる」と言葉。ほんの少しな差異に感覚を開くと、言葉では表しきれないけど、確かに感じる何かに気づく。環境で言葉は変化する。言葉は文化、歴史、つながり、ルーツを含んでいる。

印象的だったのは、短い動画を大画面で表示していること。
美術館と言えば、静止画 と思い込んでいた良治には驚きだった。
敢えて、薄暗くわかりにくくしていた。
南雲麻衣さんの展示は3つの違った会話の映写。それをそのシーンに合わせた机と小物があり、映像と見る側がリンクしていた。女子3名の手話語り。初めて、手話も言語なんだと実感した。
新井英夫さんの展示は、どれも面白かった。感じる感度を上げること。表現することで繋がること。

見終わった後で、読書会メンバーでランチ。これも素敵なお店で、予約してくださったKさんに感謝。そこで、展示の感想シェアも面白かった。特に、「方言の語りで、人格変わる」という実体験は説得力があった。

リジェネラティブ・リーダーシップとは

2024/4/10にリジェネラティブ・デザイン・カレッジで、Ecological Memes発起人の​小林泰紘さんからリジェネラティブ・リーダーシップについて講義を受けた。

この夏を目指して、本の翻訳を進められているそうで、詳しくはそれを読まないと分からない。
https://www.youtube.com/watch?v=M7CnHqyu_cs

以下は、今回の講義から感じ取ったことなので、もしかすると内容に誤りがあるかも知れない。

印象的だったのは、千葉県山武市にある谷津(注:丘陵で谷になり、湧き水が出ている谷奥)で、土砂崩れのため(丘陵の森林の管理がずさんで土砂崩れが起きた)、グライ土(注:排水不良のため有機物の分解が抑えられ、また強い還元作用による酸素欠乏、水の浸透不良などのため水稲根が障害を受け、養分の吸収が妨げられる状態になっている土壌。)になっていた土壌を、仲間たちと土砂を取り除き、小規模な池を復活させたというエピソード。リジェネラティブ・リーダーとは、こうした、循環が滞ってしまっている所へ赴き、整え、循環を回復させてあげること。

リーダー自身が、外側と内側を一致させている必要がある。

ガンジーの名言
「この世界の内に望む変化に、あなた自身が成ってみせなさい。」
の精神だ。

これはブッダも心がけたこと。「嘘も方便」と言い、伝える目的のために、言葉は闊達に変えた。しかし、ブッダ自身は、常に自身が説いたダルマの実践を心がけて過ごした。
語る説法と、自身のBeingを一致させた。

最近のGIGAスクール構想で生まれた今の新しい学習観もまた、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指している。そこで重要と見なされているのが、先生は教える人。児童・生徒は教えられる人という2項対立ではなく、先生も児童・生徒も共に学びあい、教え合うという関係性。内と外が一致していることが求められる。

そして、自身をエコシステム・ファシリテーターとして見なす力。
ビジネスで言うと、エゴリーダーは、部下を道具として見なし、「使える/使えない」と評価する。コアリーダーは、部下はそれぞれ特性があり、どういう形で配置したら、この部下は一番輝けるか?に着目して整える。

<2/14「コーチングはどのように広がってきたのか? CTIの非公式な歴史からみるコーチング」を聞いて>

こういう歴史話は大好き。
ランダムに気になったことを挙げてみる。

・源流は、1990年代のアメリカ西海岸のヒューマンポテンシャル運動にある。
 =>1年前に基礎コースしか参加していないたっちーが言い間違えていた「NCRW」の元はここ。
  つまり、カール・ロジャーズの考え方に源がある。
  きちんと聴いてもらった時、人は自由になる という確信。カール・ロジャーズの研究者によると、「静かな革命」と呼ばれる発見があった。


CTIでは、この行為をそもそも「コーチング」って言ってなかった。

・最初期のCTIのコースは、基礎コースの後、Doing編とBeing編しかなく、両方を取ることは求められていなかった。Doing編だけを取る人が圧倒的に多かった。

・イギリスでの「インナーゲーム」がコーチングのスタートか?
 =>良治の知識だと、もう一つの流れが、税理士から。お金の使い方を訊いていくと、どう生きたいのか?に繋がったと聞いている。

CTIの活動が先で、後からICFが誕生した。

・今回のイベントをデザインしたCTI側のハッシーとけいこさんのプログラムでは、アメリカではどうなってきたのか?日本ではどうなってきたのか?これからのCo-Activeって何だろう?の3つからなっていた。

アメリカから日本へ伝わってくる時、偶然としか思えない出来事がいくつも重なって、口コミで広がってきた。
 =>ここ、CTIの言う「直感」とも繋がる。
 こういうエピソードの連鎖を聞くと、「Co-Active」って大切にしたい概念がある種生き物として大切に手渡されて来たとも感じる。
たっちーは「進化思考」を書かれた程で、この偶然の連鎖による進化というのはとても興味深い点だと思う。シンクロニシティとも言っていいんじゃないか?

・となると、Co-Active Coachingの大事な要素は、場からの影響に敏感であり、それをサインと考える思想。これはネイティブ・アメリカンの思想に繋がる。

・日本ではCMを23年間一度もうったことが無かった。口コミで広まって来た。今回、ハウル新社長の判断で、初めてCMを打つ。

・こうやってCo-Activeの歴史を振り返ると、Co-Activeは常にその時代の精神ともCo-Activeの在り方を変えてきた。

ORSC 15th Anniversary Ceremonyに参加して

2024/1/28東京ミッドタウン八重洲で開催されたORSC 15th Anniversary Ceremonyに参加した。

ここまでORSC JAPANを牽引してくださったゆりさんが2023年12月で退任というサプライズもあったものの、この15年でORSCerが600名近く誕生したということ。そして、そのメンバーが集うと、こんなパワーになるということに驚きを禁じ得なかった。

良治の個人史としては、娘の誕生と共に子育てに専念した12年であり、こうしたつながりから意図的に身を引いた時間だった。この4月に娘が中学生になるのを気に、再びこうした活動に顔を出そうとスタートとなった。

相変わらずの人見知りで、これだけ沢山の人がいると、居心地が悪くて仕方がない。どうしても輪から外れた安全な所から観察していたくなる。
こうした指向はどうしようもなく、込み上げてしまう。
以前は、「こういう良治はダメだ」と思って、さらに良治で良治にダメージを与えていたけれど、今回は、「もう自然とそうなっちゃうのは良治だよな~」って、良治に許可を出すことができた。

だから、悪いけど「ORSC15周年を祝う」という意図よりも、リアルでの繋がりが切れてしまっているかつての懐かしい仲間と再会したいという想いの方が勝っていた。

しかも良治の時間軸だと、ORSC勃興前夜とスタート直後の印象と、今が接続している。
胡蝶の夢から覚めたら、突然こんなことになっていた という感覚がある。

ORSCが扱う、関係性という目に見えない何か?そのお陰でつながり合うことができず、苦しんできた沢山の事例。しかし、それを扱う難易度と、それを大事と思い、時間と労力をかけようとするクライエントがいるのか?という成り手とお客さまがいるのか?という2大難点のため、まったく先が見えなかった。
実際、今回の終了の祝福タイムの時に、ORSCerに関わって貰ったばっかりに、やっとの思いで採用した50名が30名に減ってしまった時は「どうしてくれるんだ!」と思ったと言う声も出ていた。

そしてファカルティによるこれからの15年に向けて、取り入れたい8つのメタスキルのうちに、「宇宙(コスモス)」があった。実にらしいメタスキルだ。

今まで日本社会が是としてきた合意的現実(CR)からは明らかに外れている。でもシステムの声に耳を澄まそうとしたら、確かに「宇宙(コスモス)」のメタスキルは必要なのだ。

20ほどのグループに分かれて、ORSCを知った私たちに何ができるか?を語り合った。
教育と社会をテーマにしたグループで語らせてもらった。「教育」というテーマほど、革新と保守、ステークホルダーとして、児童生徒・教師・教育委員会・親・地域の人・政治家が入り乱れており、みんなよかれと思うことをやろうとして、ぶつかりあっている。仕事柄ずっとウォッチしてきたけど、どこからどうしたらいいのか?ほんと分からない。で、誰かが革新しようとすると、必ずそれを阻むステークホルダーが立ち上がるという厄介な構造がある。言論だけの空中戦となると、絶対に合意できない。ORSCこそ、一歩引いて、今どんな声がこだまする空間に私たちがいるのか?俎上に載せてくれる。見たくない現実をみんなで見ることから始めないと、必ず揺り戻しにより、改革は阻まれる。厄介なのは、技術的には、時間と場所を選ばず、学ぼうと思えば学ぶことが可能となった初めての時代に私たちは生きることになったということでもある。教師は、教える役割から、学びを支援するファシリテーターへシフトする必要がある。

ここまでくると、次の15年は、これまでだったら「絶対無理!」と思ってきたことが、「ORSCを知っている私たちだったらきっとできる!」という新しい扉が開く気がする。