Yしぴーの生き方(一期一会)に憧れるRyoji☆

今回「不合格」と文字をみて、反射的に「クライアントさんに申し訳ない。」と思った。こういう心境を知ったらKみ子さんに怒られるのは必然。「何やってんのRyoji☆!そんなこと想う暇があったら、その時にRyoji☆が出来るベストをやりきらなくちゃ。コーチングにやり直しはないんだよ!」うーん。ごもっとも。でも、そう想ってしまうRyoji☆を止められない。


今回不合格となったのは、スキルじゃない。Ryoji☆のコーチとしての在りようのブレがどこかクライアントさんと噛み合っていなかった。だからクライアントさんの大きな主題に向けてゲートが開かなかった。そしてこの状態はよく起きる。こればかりは量をこなせばよいとかじゃなくて、Ryoji☆の在りようを決めきれないことから生じるRyoji☆の迷いなんだ。だから、Kみこさんの言う通りなんだから、ちゃんと覚悟してなぜクライアントさんに向き合えないのだろう?

この問いが起きる度に、田舎侍Yしぴーを思い出す。YしぴーはAゆちゃんが解説してくれた通り、一期一会を生き方にしている。言葉が大げさなって感じる時があるんだけど、それはこの一瞬伝えるのを止めたら次はいつ伝えられるか判らないという覚悟なんだとすると、納得出来る。大げさでなく、今私が感じるあなたへ私の在りよう全てでぶつかると。

だからYしぴーは凄い!細かい事はどうでもよい。今この瞬間の我と汝からのみ、接する。それが理屈でなく判る。だからYしぴーの周りにはいつもYしぴーを慕う誰かがいる。

しかし、いくらRyoji☆がそんなYしぴーの生き方に憧れても、Ryoji☆はRyoji☆の生き方を見つけて、そこから接しないと今を生きてる意味がない。悲しいけどRyoji☆はRyoji☆で、それ以上でもそれ以下でもない。このキャラクターでやれることをやるしかない。

何故ここでぶれるのか?

判らないからだ。クライアントさんのタオが見えない。どれがクライアントさんの伸びたい方向なのか判らない。どうしていいのか、判らない人はそのままでいいんじゃないかとRyoji☆は思う。判らないことを選んでいるのだから、それで終わり。そこでさらに踏み込むのは、余計なお世話だ。Ryoji☆がコーチとして反映してもクライアントさんからの打ち返しがないなら、それはその人のタオじゃないんだろう。だから、そうなると泥沼に入ってCo-Active Coachingなのか?と思われる程、単なるおしゃべりと化す。どこまで行っても深まることのない表面上のやりとり…。


Ryoji☆はこの何をやってるんだか、訳がわからない時間も長い時間軸でみたら意味があると思ってる。物事には時の時がある。Ryoji☆はそういう関係を他者との間で選んでいる。

こんなぶきっちょだからこそ、フッと共にいることが出来るのだと思ってる。別に何ってない。ただあなたの脇に座りたくなったから座った。邪魔ならどくけど、何か言いたかったら聞くよ。

Ryoji☆のway of Beingはそうでいたいと願ってる。ポツリと出る小さな願い。それにこそ興味がある。小さな種火を大事に扱いたい。

かつてKつやはRyoji☆のクライアントさんに対する圧倒的な思い込みを叩きつける様を見て、「Ryoji☆のスキル。いや、Ryoji☆の指針だ!」と評してくれた。Ryoji☆自身そう言って貰って嬉しかった。しかし、ここに至って、Ryoji☆はそんなRyoji☆を嫌悪している。

「クライアントさんがwholeで、resourcefulで、creativeだ」ったら、待てばいい。スペースを空けて、何をそこに見てるの?と、きけばいい。なぜコーチはクライアントさんを刺激しないといけないのだろうか?そんなギリギリした最上志向はRyoji☆の世界じゃない。生か死か?かつてハイデガーは「頽落」と言って、死を直視して本来の生き方に目覚めよと言った。(この引用間違ってる可能性大)そう詰め寄られると、崖っぷちに追い込まれて、全然自由がない。なぜ太平洋戦争に負けたのか?と言う問いに、「死んでこい」と戦場へ送り出した教官は、戦後「時代は変わった」と変節して、責任を取らなかった。その風土は今も変わらずあるという言い方がある。Ryoji☆には同じ文脈に響く。Ryoji☆はどっちの言い分もわかるという最低の考えで、止まってしまう。変節するのは人の常。(Dんなには、その一般化嫌いって指摘されそう(苦笑))一般化して語れない。ただ人は選ばないといけない。それは確か。ただ、どんな局面にあろうが、そこにスペースはある。