いつまで悩んでいるのか?

Mゆみ@厚木の詩を読んで考えさせられた。苦悩のJijiはまさに永続的に次から次に沸き起こる苦悩で立ち止まっている。あまりにも悩んでいる時間が長くて、幸せを味わっている暇が少ない。もしもこれまで苦悩に費やした時間をどうしたらJiji自身、幸せオーラを醸し出せるか?にトライしていたら、きっと今とまるで違う人生が展開しただろう。
そう考えるとコーチって、一気他人の人生を変えはしないけど、大きな方向は一瞬で変える。それはじんわり、でも確かな手応えを持ったことなんだなって感じる。その視線の存在を意識しているかいないか?は今の味わいを変える契機を含んでいる。
で、Ryojiはいつまで悩んでいたいんだろうか?手に届くりんごだって、手を伸ばす行為があって手に入る。万言を費やしても、手を伸ばす行動には叶わない。泣きながらでも、これが欲しい。こうなりたい。て足掻くことなんだろうな。
わかんねえだども、どしてもこうありてい。だってばよ、もしそれが叶ったとしたらばよ。おめえさ。うんとこ気持ちよくねいか。
その条件の違いはなんだろう。ビジョンがあるから。リーダーが違うから。情熱があるから。私を押しのけてまでも、これだよこれ!という渇望を明確にし、プライドを脇に置き、頭を下げて教えを請い、感謝すること。行動に飛び込み、諦めない。妥協せず、Beingを醸し出す。それを得て行くことが力づけてくれる。
Ryojiにはその何かが足りないという視点に留まるのでなく、今Ryojiはその何かに向けて腹をくくってやっている最中という視点から、どうやったらもっと楽しくそれ出来るんだろうと気持ちよい態度であること。そこにその何かを引き寄せる何かが在るのだろう。

“問題行動の意味”にこだわるより“解決志向”で行こう (ほんの森ブックレット)

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