Go_out_and_Change_the_world・大乗・小乗

社会企業家。もし1995年以前に知っていたら、間違いなく身を投じていた気がする。この半年、社会企業家の本は買ってあっても、手を付けようとしないRyoji☆がいる。多分ヤバイことを知っているんだろうな。これまでの苦悩のJijiは、この世に何とか止まっているだけで精一杯。世界をみんなにとってよいように変える!なんて 発想はなかった。
世界を変えようと思うのは、怒りや憎しみからだった。Ryoji☆に対してこんな理不尽なことをそのままにしておく、この社会が悪い。知識を得れば得るほど、前の世代がやり残した課題が重く、「そんなの関係ねぇ〜」と言えない呪縛としてある。このふざけた世界。なんでこんな時に、生まれてきてしまったんだろう。中学生の時、チェルノブイリ原発事故があった。前から原発が危険だって小学生のRyoji☆だって知っていたのに、事故が起きて大人が右往左往するのは不思議だった。核戦争を起こせば、この命は一瞬で、理不尽に奪われる。死。いつ死ぬか、わからないのであれば、今さえ良ければよいのか?そうであったとしても、よりらしい生き方を目指すべきなのか?
そしてなんでこの家族に生まれてきたんだろう。
Ryoji☆の痛みを自己受容したいのに、やり方がわからず、当たり散らし方もわからず、一人内にモヤモヤしたエネルギーを溜め込んでしまった。
世の中をよくしたい!という最初の想いは現実の荒波に揉まれ、善悪の2元論では割り切れない苦渋があるんだと、徐々に知り、何が正しく何が間違っているのか?わからなくなった。沈黙へ。
大乗っていいよねって思ってた。先に目覚めた者がまだ目覚めぬ者を教導する。でもCo-Active Coachingは青春期♪と表現するDんなの思考をトレースすると、この図式が暑苦しいって感じてるのかなぁって思う。誰かにお前こうしろ!とは傲慢なんだ。間違いも許す。尋ねられたら、明快に答える。ただ温かく見守る。お主、解脱レベルがまだまだよ。
言い換えると、この生き方の方が魅力的じゃないって暗黙にBeingで示すこと。
以上を踏まえると、世に働きかける時、「〜すべし」じゃなく、「〜ある」とラヴベースで願うことが肝って感じる。恐怖や不安を持っていると、恐怖や不安を引き寄せるし、慈しみやポジティブさは慈しみやポジティブさを引き寄せる。
例えばRyoji☆の結婚式の2次会を五反田ゆうぽーとを借りて、コーチ仲間100人に来てもらって、幸せのお裾分けをしあうとか妄想する。「本当に来るの?」と言ったらFくろうチームのみんなは「Ryoji☆ならありうるよ」と言ってくれた。有り難いねぇ。そんなことされた日には、最初から最後まで涙で何も出来ないよ。(嬉し泣き♪)今までのRyoji☆はきっと恐れからしか働きかけしていなかったんだ。そんなレベルから話が始まる気がする。

幸せのシンプルルール 511

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