出来る出来ないの世界から意図を創る世界へ

「あの人は元々能力があったからね〜。」そんな筈はないと思いながら、ダメだぁと思うたび、生まれつきの与えられた力の差なんだって思い込んで来た。だから一番最初に大事なのは、それをRyoji☆がやって失敗しないか?という見込みだった。だから、やる前から勝負は決まっていた。いくら努力してもダメなものはダメ。

だからコーチングの考え方に出会って、「Why not?」と当たり前のように、何故出来ないかの理由を聞かれるのにはビックリした。

あほちゃうか?無駄な努力して時間潰してどないする〜ん。そこへ踏み込むちゅうことは、おまいさんは「わしが『できる』」と踏んだちゅうことかぁ。僅か十数分、話を聞いた赤の他人のおまいさんに、我の何がわかるっちゅうんや(怒)しかも仕舞いにゃ、「理屈はどうでもいい。それをRyoji☆はやりたいの?やりたくないの?」だと!(怒)真面目な顔しくさって、人のことを信じてますみたいな素振りして、ほんま大概にせいや

Kおちゃんと話をしていて明確になったのは、母親から溢れる程の、父親からも分かりにくいけども、愛を注いでもらって育ったRyoji☆なのに、他者からの愛に関しては、圧倒的な不関知を発揮する。ガバッと、そのことに関しては、いくら証拠を見せつけられても、判らない。Ryoji☆に関することだけ、スッポリ抜け落ちてしまう。

しかも周りから見るとRyoji☆が何に反応しているのか?丸わかりで、微笑ましいらしい。愛されキャラらしいのだ。

ここに至り、Ryoji☆が強固に思いこんでいる人生脚本は明白で、「Ryoji☆は生きている価値がない。」通低和音のように、ずっとそれに支配されることを選んでいる。

だからコーチングが唱える意図を創造し、気持ちは脇において兎に角やる。そしてチェックして次の意図を決める。の世界観は、理屈では「確かに」と納得しているけど、リアルな現実において、それを実行するとなると、Ryoji☆の世界観は粉々に崩れ去る。シャンタジ師が教えて下さる、カルマ・ヨーギーの世界だ。ここに至り、Dんなが唱える、ドリーム・ワールドから現実世界を創発するという表現も理解できた感じがする。

幸せである。
愛されている。
ツイている。

つまり、この世界観に立つことによって、自己決定権を自らに取り戻し、新たな己にとって快の境地を奏でる自由を手に入れる。それは、全ての夢が叶う魔法の国ではない。しかし、得たいと思うことをいずれは手に入れることが出来る世界ではある。ただし、あることを手に入れる為に、バランスをみることを忘れてはどうしょうもないが。

今Ryoji☆が目指すCo-Active Coachingの姿は、生き方そのものなので、Ryoji☆自身がちゃんと体現してないと、クライアントさんに投げる問いが浮く。身体全身がその問いを発することを拒否してしまう。

Kおちゃんが「うーん。やっぱり苦悩してるとRyoji☆のエネルギー上がるわぁ〜。もしかしたら、これが最後の『苦悩』かもねぇ。これからもRyoji☆は苦悩し続けるんだろうけど、きっとそれはRyoji☆にとってのFulfillmentに他ならないのだから。」ありがとうKおちゃん。苦悩するRyoji☆を認めてくれて。つまり、生き方を変える時期に来たってことかも知れない。