安心・信頼・社会学

山岸俊男先生の講演会を聞きに行った。10年くらい前、山岸先生の社会的ジレンマの話は知的に興奮した。なぜ社会学じゃないとわからないことがあるのか?その意味がわからず、専攻したもののRyojiの興味って心理学?文化人類学?ってことで苦しんでいたので、そうそうこういうことは社会学でないとさってわかった意味でも有り難かった。最初に「面白いかもよ」と教えてくれたNべゆきに感謝。
コーチングと話を対比させながら聞いた。安心は場の環境の強制によって生まれる。11世紀のマグリブ商人、江戸時代の株仲間、現代の生ゴム取引も、排他的な仲間の絆の強制力で機会費用を軽減させ、長期的な利害関係を利用した相互利益を得るやり方。
Dんな♪が明快に説明してくれながらRyojiには理解しきれなかった「描写と命令を誤解しないように!」って言うのは、この安心からリスクを負う信用へ移行するためには、敢えて裏切りをされても相手を信頼することをとる訓練が必要で、そのための命令としてある。そのおかげで、学びが手に入る。だから命令が正しいか否かを考えるのは別の話ってこと。やっと理解出来た。嬉しい!Dんな♪は「あんなに分かりやすく書いているのに…」と驚いていた。うん。Ryojiは理解力低いんだ。(笑)
コーチングにおいて、場が安全かどうかはとても大事だ。つまりミニ安心社会を創るってこと。同時に、「ドーンと行け!」とクライアントさんを信頼してコーチが挑戦することもある。勝手なイメージだと、コーチング・セッションを積み重ねていくと、安心社会から信頼社会の移行を段々して行く感覚がある。状況に左右されず、リスクをとって人生をかけた欲望に身を投じて行く。取引費用の増加という短所を引き受ける代わりに、より有利な機会を得る。人として開かれている。
いかにお金持ちになるか?の本が好きでよく読む。成功者はすごい人脈を持っている。其処だけみると羨ましいし、成功したのも当然って見える。それは逆に言うと、そうなるまで諦めなかったから、すごい人脈になったんだよね。人脈を維持する手間と労力って大きい。自宅Partyを開く友達曰わく、準備や後片付けは大変。でもそれがわかっていて余りある何かがある。取引費用はかかるけど、それは機会を広げる。よき機会が欲しかったら、自分から与えること。スカも多いだろうけど、段々真贋を見極める力がつく。
ちゃんと練習しないと、後で後悔した人生になるんだろうなぁ。

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

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