【本の感想】岡本隆司「中国史とつなげて学ぶ日本全史」東洋経済新報社 2021.10.

岡本隆司「中国史とつなげて学ぶ日本全史」東洋経済新報社 2021.10.
https://honto.jp/netstore/pd-book_31186924.html


コンパクトにまとめたが故に、見えてきたものが興味深い。日本列島という地理的条件下にある日本人たちの学習の軌跡とも言える。

中国や朝鮮と対比すると明確なのは、支配が隅々まで行き届いたまとまった社会であり続けた。特に戦国時代以降その傾向が強まった。
一方中国は清の時代に下層の人口が膨れ上がった。社会の上層はそれほど増加し無かった。長い目でみると秦の時代に確立した支配論を清の時代まで変えずに来てしまった。だから、支配階層と庶民層の分離が著しい。
勝手な感想だと、宋の時代まで中国は世界の中でも最先端を行っていた。次の元は、世界史上の画期だった。ユーラシア大陸規模の大商業圏の誕生は凄いことだった。
で、明・清と、世界史上のでみると、停滞したのかな?と思える。株式会社という仕組みの発明の差かも知れない。

二つ目は日本人たちは政治において、権威と権力を分けることを好んで来た。
摂関政治。朝廷と幕府。
これは世界史的に珍しい。権力は一元化するのが世界の常識なのに、日本人たちは二元化した方が安定する。
そう思って院政の時期を考えると、日本人たちにとって政治権力の一本化は戦乱を招くというのは言えそう。
権力者の側近の重用となり、公正さを欠くとなる。
その意味では、曖昧さの代償として平和を得たとも言えるかも。

三つ目は舶来上等の精神。唐物(中国由来の品)や近代以降の西洋珍重など、素晴らしいモノ/コトは外からやってくる。

 そして、それを自分たち好みにデフォルメする。元の文脈は考えない。2次創作する。

古事記で言うえびす様のような存在を感じて来たのかな?
 
四つ目は近世の江戸時代に本格化した「職人」って気風。絶えざる工夫を凝らし、究極まで高めようとする。
戦後のアメリカからやってきた標準化の考え方とは真逆。
工夫を常にし続ける。
科学のように原理から乗り越えるのではなく、今ある中での工夫。いわゆる神業って域まで高める。

こうしてみると、日本人たちの社会は、中国や朝鮮とはまるで違う。大陸での政治の難点は、全く違う文化圏を如何にして統合するか?
歴史をみても、日本人たちと大陸とが接触すると、争いになる。
唐・新義vs百済・倭、元寇豊臣秀吉の朝鮮侵攻、韓国併合

司馬遼太郎が「鬼胎の時代」と呼んだ昭和の前半。まさに大陸とどう関わっていくか?「帝国日本」の時代だった。{同時代の人たちにも、3つの道があると理解されていた。江戸時代のように、日本列島だけでやっていく道。広く国際社会の中の日本として振る舞う道。第三の道が、大陸に植民地を持つ帝国として道。}結局、多様な文化圏を統べることが出来ず、皇国として同化しようとして失敗した。「帝国」って日本の政治には合わないシステム。

ツイン・エネルギーと名称

関京子さんが「ツイン・エネルギー」という本を出されたので、9/9本間正人さんが話を聞く会を開いて下さった。

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さすが本間さん。コメントや進行が洒脱だし、軽妙で、気が利いてる。楽しい時間だった。
京子さんがリーダーで本間さんがCTIの応用コースを学ばれた時のエピソードも、本間さんの素敵な人柄を表していた。

質問として、何故ツインエネルギーを「男性性」「女性性」として説明するのか?LGBTが話題になる状態だと、その表現だと伝えづらい。
京子さんからは、そこは悩んだけれど、他の言い回しだと、私が表現したい存在感、エネルギー感がしっくり来ない。既存の言葉だと「男性性」「女性性」が一番近かった。
本間さん曰く、丁度空白になってる概念なのかも。

それを聞いて、ジェドリンの指摘が甦った。何か新しい事象を説明したいと思ったら、新しい言葉を生み出しなさい。確かに理解して貰うのは大変だが、言葉を分けないと、説明出来ないことは確かにあるのだから。
このツイン・エネルギーを使いやすいものにするなら、新しい対になる言葉が必要って気がする。

また「何故16個何ですか?」と質問があり。ここ20年近いコーチングの経験の中でボンヤリこうなんじゃないか?という仮説を自分の中で検証したら16になった。もっとあるかも知れないとのこと。
ユングは常に対で概念を考えた人。ユングの考え方から出来上がったMBTIも16で、多分対の思考を選ぶと必然的に16になる気がする。

話の中で、書き方を意図的にこうしたというのが面白かった。学術論文の構成は、先行研究の言及があり、それを受けて自分は何を仮説とし、どう検証するか?で、経緯を書き、結果を述べる。
今回は敢えて何も見ずに、インスピレーションのままに書いた。
本間さんも、リフレクティブなスタイル(造語)かもねと仰っていた。

実はこの書き方へのこだわり。ドナルド・A・ショーン「省察的実践とは何か プロフェッショナルの行為と思考」鳳書房 2007.11
https://honto.jp/netstore/pd-book_02943638.html
でも言及がある。
少しずつ内省が進むにつれて、らせん状に思考が深まっていく過程を追体験してほしいと、少し実際にやった事例の報告が在ると、そこまでの振り返りの章が入る構成になっていて、ここを読めば、全体の結論がわかりますって構成になっていない。その少しずつタマネギの皮を剥ぐように、成る程度合いが高まるように構成されている。

その意味でこの本は使う本として構成されている。

 

 

 

プロセスワークにおける「ロール」の概念について

プロセスワークにおける「ロール」の概念について、長年、以下の言葉に納得出来ないでいた。

 

「個人は役割(=ロール)よりも大きく、役割(ロール)は個人よりも大きい」

 

これだと個人と役割の大きさの関係が意味不明。納得出来なかった。
どっちもどっちに対して大きいなんて関係が成り立つんだろうか?

 

9/4(土)ワールドワークとその歴史(講師ドーン・メンケン博士):ミンデル「対立の心理学(仮題)」復刊記念 に参加した。
https://www.value-press.com/pressrelease/278252

 

ドーン・メンケン博士がワールドワークの歴史を辿りながら、大事な概念と、実際のワールドワークの世界大会で何が起きたか?のシェアでお話が進んだ。

まず前提として、ドリームボディと元型のアイデアが仮説として先行してあったのが大事。ミンデルの発見は「どうも個人はその人固有のドリームボディを持つらしい」だった。そこにユングの元型のアイデアを足すと、ドリームボディにもまたドリームボディ元型があるはずだとなる。
そうした目で、世界をみると、ドリームボディを通じて私たちはドリームボディ元型を作り、影響を受けている。

 「個人は{一つの}役割(=ロール)よりも大きく{多様なロールを内包し}、役割(ロール)は{一人の}個人よりも大き{く、元型と繋がって}い{る}」

これは心理学の原理、対人関係が対内関係に影響し、対内関係が対人関係に影響する(厳密に言うと、この原理が通じない方もいらっしゃり、まずはそこの見立てが極めて大事になる)を、別の言い方をしたものだ。

小谷 英文 編著「ガイダンスとカウンセリング 指導から自己実現への共同作業へ」北樹出版 1993.4 
https://honto.jp/netstore/pd-book_00946383.html
→大学時代のテキスト

だから、ロールプレイの時の見立ての難しさもわかろうと言うものだ。

人は誰しもあまり向き合いたくない自分を抱えている。だから、ロールプレイで場にそこに触るロールが登場すると、回避行動が起きる。逃げ出したり、攻撃したり。
ここで場のスピードが早いと、場にいるそれぞれレベルで多様な反応が起きるので、カオスになる。
逆に言えば、そうならないように私たちは普段無難に過ごす社交として振る舞いあっている。

スピリチュアルの強さも現わになる。受け止めて貰えない傷みに対して、生き延びるためには、精神的な強さを磨くしかなかった。傷みが強ければ強いほど、精神的な強さは際立つ。圧倒的なエネルギーがそこには貯まっているからだ。

ミンデルがユング派である所以は、常にエネルギーは対だと発想する点にある。傷みを訴えるクライアントへ遊び心のエネルギーでお誘いするミンデルの姿を見た。個人の中には多様な役割が息づいてる。だから、どれか一つの役割を活性化させれば、その人の中の恒常性(ホメオスタシス)の働きにより、揺らぎ動き、傷みの焦点がズレる。


逆説的だが、カオスの中にこそ、調和と安らぎがある。
実際、自然の生態系がそうだ。多種多様な生物が生きているからこそ、生態系が安定する。
人の心の中の内側でも同じことだ。多種多様な私の内面を受容できていればいるほど、心は安定していく。

 
ドリームボディから始まり、ロール、ランク、フェーズと、常に起きている事象から概念を生み出し、検証し、理論を磨いて来たミンデル。実践から内省した結果、取り出されて来た概念。だからこそ、現場で役立つ。

 

 

4日遅れの誕生日ケーキ

日曜(9/5)のお茶の時間に、小4娘がバースディケーキを作って振る舞ってくれた。
彼女は何かを作るのが好きなので、午後に「ケーキを作る」と言い出したのも、いつもの一環だろうと思ってた。


午前中、買い物に一緒に行った時に、「ババは、たけのこの里きのこの山。どっちが好き?」と訊かれたので、「きのこの山」と答えた。

すると、ケーキには無数のきのこの山がぶっ指してあった!(驚)
かつ、ケーキ本体の味もかなり甘甘。


嬉しいって気持ちになりたいのだけど、時期も4日遅れだし、いかにも「やった」レベルの出来で、「プレゼントとして心を込めて」って感じじゃないので、うーんって感じ。

でもトータルで考えたら、彼女にしたら次いでだったのだろうけど、こうして祝って貰えるのは幸せ者だ。こんな嬉しいような嬉しくないような気持ちも、娘がいなかったら決して味わえない感情。

 

ちなみに量が多過ぎて、翌日も食べました(笑)。

本当の仕事とは?

7/4(日)本当の仕事ワークショップ(WS)・オンラインに参加した。現在榎本英剛さんの元で、天職創造WSに参加しているメンバーが学んだことを実際にやってみる試みだった。

コーチングに出会って、「天職」って考え方に触れた。魅力的な考え方だとは思ったけど、困難さも想像でき、私の道じゃないな~と思っていた。

今回コーチ仲間がプレとして主催するというので応援したい気持ちと、ポジティブ心理学を通じて人の強みについて理解が進んだので参加しようと思って参加した。

語り合う中、主催メンバーだって「天職」って考えにハテナだったと知った。それでもこうしたWSに参加しているのは、それだけ現状に疑問があるし、実際に「天職」に目覚めた時の人のエネルギーに共鳴したからだとわかった。

見えて来たのは「純粋意欲」。主催者の方は皆これに魅力されてる感じだった。
場を共にしていると、「あ、これね!」って伝わってくる。コーアクティブ・コーチングだと、NCRWと言われるものだ。
極端に描写すると、一人の人の中に全く別のその人がいる感じ。普段の私たちは、基本保守的で、リスクを考えて、既知の範囲で過ごすことが多い。
一方、純粋意欲に目覚めた私は、全能感に満ちて、こうなったらいいへ向けてドンドン突き進む。

良治の中で沸き上がって来たキーワードは、対話、説明、納得、哲学、キャンプ、たき火、大人も子どもも…。

で、そこから今までに無かった新しい仕事(=天職)を参加者同士で無責任に言い合った。

良治の中のイメージは、昼間は大人も子どもも一緒になって大自然の中、キャンプする。で、夜はたき火を囲んで、哲学的に「○○って何だろうね?」って大人も子どもも語り合う。

そんな「哲学対話キャンプ」みたいなイメージとなった。

良治の性分として、説明好きってのもあるから、知識と発言を結び付けるってのもいいかも。

この探求の肝は、各自が自身の純粋意欲に納得出来るかどうか?

今回やったあるワークの仕組みが絶妙で、おお!って、自身の純粋意欲かなと思うものに確信が持てた。

わずか10分くらいのやりとりから感じられるその人らしさ。それが当たらずとも遠からずで、納得してしまった。

ティール組織って補助線を引くと、これは時代の流れとして、夏目漱石が悩んでいた「近代的自我」な目覚めって感じがする。
工業化社会に適応できるように、今の教育システムは出来てる。それは規則正しく言われたことをこなす能力。
今求められているのは、純粋意欲から人が創り出すキラキラした歓びの世界。一人一人がそれに邁進することで共鳴が起き、より輝く世界。
ティール組織って発想もそこまで達したら組織もこんな形になるというアイデア

 

【「2.6 書くことによるリフレクション」振り返り】

話しながら、どうも「書く」行為と「リフレクション」には、ベン図のように重なる部分と、重ならない部分があることが明確になった。

まず「書く」には4つのパターンがあった。一つ目は、記録重視。今ここで感じたことを兎に角記録しようと書く。
二つ目は、内的発露として書く。何か?こう言いたくなる衝動があり、それを吐き出す。書き終わると内容に興味はない。
愉しい行為。
三つ目は、読み手を意識する。書くことは苦行。好き勝手に書けず、よりよき表現を目指して吟味する。
四つ目は、じっと寝かせて言葉にまとまるのを待つ。起きたことは沢山の可能性を持ってる。その中から「私にとって、この体験が意味を持つとしたら?」の視点で、ストーリーを選択する。その際は「その場で起きたこと」と言うよりも、「私のこれまでの体験に統合するならば~」のストーリーが選択される。
だから、言葉化に時間がかかる。


こうしてまとめて、合意がとれたのは、「書く」行為一つとっても、人により、「何がやりやすいか?」「どこに力点があるか?」が異なるので、単純に「書けばリフレクションになる」とは言えない。むしろ自分にあったリフレクションを自覚することが大事ではないか?となった。
かつ教師力を高めましょう文脈だと、授業が終わったら時間をとって書くというのが定番のようだ。これが型に嵌まる人は、すごく書く。大量に書く。でも、多くの人にとり、そこまで時間が取れないのが悩み。かつ、書くのは得意じゃない。

「リフレクション」においては、「何のために?」が大事ではないか?
目的もなくリフレクションは出来ない。
テキストで「教育的契機」として紹介されているのは、書きながら違和感に形を与えていく行為。ここでも前提として、授業目的が設定されてるはずで、それに対して実際はどうか?を振り返っている。
当たり前のようだが、リフレクションする際には、ここを参加者同士が握ってないと、リフレクションにならない。非難や批判に成りかねない。
リフレクションには、合意された目標が不可欠だ。

ここまで対話すると、「書く」行為と「リフレクション」が同時に成り立つのは、ある特殊な条件、ある目指すべき状態と今ここで起きたことを照らし合わせた時に、どんなことに気づいたか?ということ。できれば、言葉にならない微細な違和感でも構わない。ある時を特定できるだけでもよい。言語化出来ないけれど、何か?がある。それを描写する中から、教えている瞬間には思い至らなかった別の可能性に気付く。従って、何か?失敗したこと。もっとうまく出来たであろうこと。を書いてリフレクションするのではなく、もっと生徒と当意即妙なダンスするために、ちょっとしたステップの踏み間違いに気付き、次回のダンスに活かすために、意識化、言語化するってことだろうか?言葉にならない何か?を言語化する試みなしに、改善は出来ない。

 

 

コーチングハンドブック 第10章 集中力を生み出す を振り返って


「ゾーンに入る」経験は、「何か?」に好奇心を向けている時。p277で書かれている通り、自己のうちに余計なフィルターがなく、ありのままに観て、まんまの自分を発揮出来ている時。

--引用開始--

従来のコーチングのパラダイムは、「P=C+K」という式で表せます。PはPerformance で業績、Cは Capacity で能力、Kは Knowledge で知識を表します。つまり、「能力に知識を加える」わけです。コーチングの新しいパラダイムは、「P=C-I」と表すことができます。PとCは先ほどと同じで、業績と能力を表します。Iは Interference で妨害や干渉、邪魔といった意味です。すなわち新たなパラダイムにおけるコーチングの目的は、人が持っている能力を発揮することを邪魔してしまうような、「I」を極小化することなのです。
田口力 「世界基準の『部下の育て方』 『モチベーション』から『エンゲージメント』へ」KADOKAWA 2019/05/17著者 (著)https://honto.jp/netstore/pd-book_29632907.html
--引用終了--

 ここで言う2つのコーチング・パラダイムは、人の可能性についての対照的な物の見方から導き出される。 前者は、知識さえ与えられたら、能力を発揮できると考える。つまり、何かが足りないから能力を活かせていないと考える。 後者は、元々人は能力を発揮できる。ただし、内側にそれを阻害する何かがあり、それを自覚して取り除ければ、自然と能力は発揮されると考える。

言葉として「集中しろ!」とは言われるが、実際には集中しようとして集中できるものじゃない。気がついたら没頭している。それを第三者が観察していて、「今、集中しているね」という観察結果となる。

--引用開始--

前野 心理学者のタル・ベン・シャハー先生が言っていましたが、幸せを目指す人は幸福度が低いという研究結果があります。パーパスを持ってやりがいを感じている人が幸せになるのですが、幸せそのものを追求すると幸せになれないということですね。禅問答で、悟りを目指すと悟れないのと同じです。

なぜ、「幸せな社員」は「不幸せな社員」より創造性が3倍高いのか?VUCAの時代に「やりがい」が大事にされるわけ【「佐宗邦威×前野隆司」対談(上)】https://diamond.jp/articles/-/265593

--引用終了--

集中している状態がパフォーマンスが高いからと言って、「集中しよう!」としてもうまくいかない。

集中している本人の内部感覚は、時間が跳ぶ。ハッと意識が我に還ると、時間が経っていたみたいな感覚。
雑念が消え、今ここにあり、時間と空間が一体となって、ものすごく鋭敏になる。

内包関係にある、傾聴のレベル1、2、3が同時にある感覚。山崎さんは、何かに集中していると同時に、回りの様子も気がついてる状態と書いている。シンクロナイズド・スイミングの選手はそれをやってのけている。

--引用開始--

前野隆司(以下、前野) 私は「幸せ」の研究に長年取り組んできましたが、パーパスを持つことと幸せであること、そして創造性を発揮することは、全て本質的に近い概念だと考えています。


なぜ、「幸せな社員」は「不幸せな社員」より創造性が3倍高いのか?VUCAの時代に「やりがい」が大事にされるわけ【「佐宗邦威×前野隆司」対談(上)】https://diamond.jp/articles/-/265593

--引用終了--

かつての上級コース時の、オーディオ・ボディアムでの関京子さんのフルフィルメントの解説。「あなたは日々の中でどれくらいフルフィルメントを感じていますか?」へ、沈黙があった後。『「いつでも」です。』の声に、初めて聞いた時の驚きと嫌悪感を思い出した。当時は、何だかよく分からないけど満たされないって思いで良治は一杯で、とても日々フルフィルメントを感じるなんてありえなかった。

今回の山崎さんの解説に則って記述すると、良治の中に「満たされない何か?」がフィルターとしてあり、良治の内なるピジョンと、良治が今ここで五感から感じ取っている現実を自覚できていなかった。だから、良治内で、思い込みの観念がグルグルして、立ち往生していた。

15年経った今なら、京子さんの問いかけと答えに「Yes!」と素直に言える。今の良治は日々フルフィルメントを感じてる。だから、コーチとしては仙人みたいな感じで、どっちでもあなたが望むならそれでいいんじゃないって思う。同時に、良治内のフィルターが薄くなったので、感じたままをクライアントさんへフィードバックできるようになった。

フィルターが薄くなると、外部環境が伝えてくれている微細な何か?に気づけるようになる。(プロセスワーク用語で言うとフラート。)

スピリチャルの取り入れも、この状態なら、感じとれやすいのも、直感の出所もこのあたりにある気がする。

素晴らしいコーチは、今この場に漂う何か?に鋭敏で、それをクライアントへ的確にフィードバックし、クライアントとコーチが共に、今ここにある何か?を探求しようとする場になる。
そうすると、自然と内から、その人の人生がコーリングに合っている何か?それに向かっているか?だけが大事になってくる気がする。
前野先生が言う、人生の目的がクローズアップされ、幸せさと創造性が満ちている感覚となる。

 

山崎啓支「コーチングハンドブック NLPで最高の能力が目覚める 知識と経験を最大化するセンスの磨き方」日本能率協会マネジメントセンター 2016/09/26https://honto.jp/netstore/pd-book_28018427.html