ACR(Active Constructive Response)の衝撃

 ここ10年ほど興味をもっていながら、どうしても頭に入ってこなくて、深く学ぶことを避けていたポジティブ心理学

松村 亜里「世界に通用する子どもの育て方」WAVE出版 2019.3.
https://honto.jp/netstore/pd-book_29481701.html

を読んで、この10年学んで来たことはここにあると感じた。
大学で、社会学専攻だったため、主張の裏付けとして、調査の根拠がないとどうも信頼できない。その点、この本は論拠がハッキリしていて信頼できた。
(別のブログで書く予定だが、「自己肯定感を政策として推進するのはハッキリ否定された」という論拠が特に響いた。その理由も納得。)

googleアラートで「ポジティブ心理学」でチェックしていて、松村 亜里さんに注目していた。

で、ウェルビーイングを目指すポジティブ心理学の知見として、ACRの発見がでかい と紹介され、衝撃を受けた。

まず研究として、社会的生活を行える心理状態をゼロとすると、従来の心理学はマイナスからゼロを目指していた。だから、研究対象は心を病んだ人たちだった。夫婦研究で有名な、ジョン・ゴッドマンは、部屋に入って5分。夫婦の様子を観察すれば91%の確立で5年後に離婚しているか?結婚し続けているか?判定できるとした。観察していたのは、結婚が長続きしない4つの兆候、「批判」、「軽蔑」、「防衛」、そして「無反応」の有無。

その一方で、あらゆる違いがあるにも関わらず、結婚生活が続いている夫婦もいる。それを7つの原則にまとめたのが

ジョン・M.ゴットマン (著),ナン・シルバー (著)「結婚生活を成功させる七つの原則 新装版」第三文明社 2007.12 
https://honto.jp/netstore/pd-book_02944549.html

大事なのは、うまく行かない理由を調べたければ、離婚した夫婦を。うまく行っている理由を知りたければ、うまくいっている夫婦を調べないと、わからないってこと。

言われてみれば、そりゃそうだ。

で、ウェルビーイングを目指すポジティブ心理学が発見したのは、ACR(Active Constructive Response)積極的建設的応答の効果。相手に持ち出された話題に対して「それで」「なるほど」「確かに」と、もっと具体的に話をするように促す応答のこと。特に女性にとって、パートナーから自分が重要だと思う事柄でACRして貰えないと、尊重されていないと感じる可能性が高い。
これが素晴らしいのは、心理的にマイナスの方にも効果があるってこと。

カウンセリングやコーチングでは、傾聴と共感が強調される。でもどちらも訓練しないと難しい。
でもACRでいいなら、そんな訓練は必要ない。

2020年3月14日(土)オンライン副業/兼業サミットに参加して

先日、はっしー主催のコーチングをやってる者同士でのオンライン副業/兼業サミットに参加した。

気づきとしては大きく3つ。

一つはエネルギーの大切さ。
良い点でもあるし、悪い点でもあるのだけど、緊張構造におけるエネルギーの有無は決定的だと感じた。
Ryoji☆は決定的に、ビジョンがない。だから、緊張構造が起きない。
一方場にいて感じたのは、コーチングを副業/兼業にしたいという熱。どうやったらいいか?分からないけど、やりたいって想いが確かだった。
そういう場にいると、自然と触発される。

二つ目は、独りでやらないってこと。独りだと行き詰まりやすい。ヘルプをどんどん出して、みんなでやる姿勢が大事。場にエネルギーがあると、自然とアイデが湧いてくる。

三つ目は、決めるってこと。
話が(1)稼ぐこと。お金への恐怖(2)どうやって集客したらいいのか?になった。聞きながら、大事なのはそこじゃないなって感じた。主催したはっしーが10年近く前にどうやったか?シェアしてくれたことからして、決めて、やるってのをコツコツ積み上げた感じ。そうせずにはいられない衝動があった。誰彼構わず、こうなるって像を語っていた。

繋がっているコーチの方の在り様をFacebookで観ていると、皆さん、あれこれ考える前に行動をしていた。やれば、フィードバックもあり、どうしたらいいかも分かってくる。

ついつい「どんな風にしたら正解!」って波に乗りたくなる。しかも今はネット上でのコーチ宣伝方法としていろいろなやり方がある。

NVCで言う所の「ニーズ」がなぜ掴むのが難しく、他者に関わって貰うことで明らかになるのか?

Ryoji☆の独断と偏見で答えてみます。

まずは、 NVCで言う所の「ニーズ」は、告げてくるもので、理性的にわかるものではありません。あくまで無意識から意識に告げてくるもの。で、それが分かるサインが二段階目の「共感」が扱う「感情」です。
例えるならば、通常、人のニーズは霧の中。感知の訓練なしに知ることは出来ません。

では、なぜ他者には「ニーズ」がわかるのでしょうか?
それは、第一段階の「観察」と第二段階の「共感」から、求めているであろう「ニーズ」を最短で描けるからです。

では、なぜ本人には「ニーズ」を感知出来ないのか?

それは、気持ちはいろいろあるからです。

NVCでニーズカードをやるとわかりますが、観察できることで生じているであろう感情は多彩です。行為をすると、ワーと感情に襲われている。
だから訓練なしに自己で自覚するのは無理。
一方、他者は本人と切り離されているので、いろいろあるんだろうけど、これが主成分だろうとあたりが付く。加えて、「共感」時の反応具合から、いろいろあるんだろうけど、この反応が一番多めそうだと推測できる。

他者からの非難、批判、命令には人は敏感で、そうした意図があると即座に「No」を突きつける。(保育園時代から、娘は、ハッキリNoを言いました。)で、行為として暴力に至る。
一方で、他者からの自身のニーズの探求支援には無力になる。なぜなら、それがわからなくて、何をしたらいいのか?苦しんでるのが人。それを求めて止まないから「ニーズ」。その探求心の前にはどんな行為も止まる。だから、暴力も止む。それがNVCがマジックな理由。

 

Ryoji☆は、コーチング経験があるので、自信を持って、ニーズ探求には他者が必要と言い切れます。
たぶんその経験がなかったら(それはNVCやっていてよく感じるのですが)「なんで他人からみたらこんな明白な「ニーズ」が分からず、この人は苦しんでるんだろう」と、ここに書かれた内容に納得いかないとなると思う。

そして、理解が困難なのは、一見他者支援なしに「ニーズ」を把握してるように見える人もいるため。
それは、行為をした時に、気持ちがワー襲って来ている中でも、私を動かしているのは、これだ!と自覚できているから。経営者とか、信仰者とか、目的が明確だからそこに迷いがない。

メタ認知能力と感情

メタ認知能力と感情

 

「ラーンベター」を読んでいて、この10年近く探していた答えを発見した。

 

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それはコーチングに於ける気持ちの取り扱い。

 

コーチング業界では、コーチAとCTIという大きなコーチ養成機関があり、 10年くらい前に「それぞれの違いって何だろう?」と学んでるお互いの中から疑問が上がり、違いを体感するイベントがあった。結果としては、重きを置いているポイントは違っていたものの、双方の上級コーチの在り様や振るまいは、限りなく似通っていた。つまり、コーチとしての高見を目指すと同じようになるのだということがわかった。

で、強いて違いを言うならば、コンセンサス・リアリティ(CR)重視と気持ち重視と言えるかな?と当時感じた。アメリカでの規模で言えば、CTIの方が大きいらしい。なのでアメリカでのニーズは気持ち重視なのかな?と想像した。

 

「同じコーチングと言いながら、この違いは一体何なんだろう?」と、うまく言い当てた感がなく、モヤモヤしていた。

 

当時のRyoji☆には、どうもコーチAのノリが合わなかった。感覚として、ゴツゴツぶつけられる感じで、優しくない。

一方、CTIコーチングは、ドリームアップが過ぎる場合があり、コーチに気持ちを聞いて貰ってスッキリしたのかも知れない。だけど、全然現実に変化が起きないということが起きうる、というのが気になった。

だからCTIでは本質的変化を強調するのだろうけれど、それはそれで抽象度が高過ぎて、理想ではあるがセッションでの指標にするには遠すぎる、と感じる。コーチングの指針とするには、抽象度を低くしないと何も言ってないのと同じ気がする。

 

そのあたりが今回「ラーンベター」を読んで腑に落ちた。

 

ラーンベターの目次

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第一章 価値を見いだす
第二章 目標を決める
第三章 能力を伸ばす
第四章 発展させる
第五章 関係づける
第六章 再考する 

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まず感情はメタ認知に必須。感情があるから、決断出来る。例えるならば、感情の雲が浮かんでいて、それぞれの感覚が自覚出来ると、全体を感じて決められる。直観もここから来る。

特に脳のある部分の腫瘍が原因で、感情が消え失せてしまった方たちの振るまいに説得された。知性は以前と変わらない。だから事象の理解力は変わってない。ただし、全く決断が出来ない。全く苛々するほど、たわいもない次回の面談予定日を決められない。こちらから提案すると「それでよいです」と、この長い決めかねていた時間はなんなのか?と。

 

 

で、この感情を頼りに、何が私を動かしていたのか?、メタ認知をすることで、私にとっての意味が深掘りされる。

 

こうして、意味付けがなされ、目的がハッキリすると、具体的にどうするか?目標設定となる。

 

で、絞り込まれた目標に向かって、モニタリングしながらフィードバックして、地道に練習する。

 

Ryoji☆が思うに、この目標が定まってからのモニタリングやフィードバック部分にコーチAのコーチングは、「コーチング」と名付けていた。

どちらかと言えば、スポーツのコーチングをビジネス向けにアレンジしたイメージ。

 

 

一方、CTIは、メタ認知からの意味付けに重きを起き、そこからの決断を「コーチング」と考えた。だから、「宇宙」とか「直感」が大切になる。論理的には説明出来ないけれど、「これだ!」と告げ知らせる何か?

で、このメタ認知力はリーダーシップに欠かせない。だから、意味を創造する親和性があった。(CTIはリーダーシッブを学ぶプログラムも提供してる。)

 

こう付置すると、なぜ双方の上級コーチは似かよるか?もわかる。つまり、「ラーンベター」が解説するように、コーチAとCTIをそれぞれ「学び学」という物差しで見ると、繋がっているある部分に強みを持つことが分かる。つまり、CTIは意味付けに強い。そこにはメタ認知力を上げるため、気持ち、感情を重視する。そして、コーチAは、目標が絞り込まれた後、どうやって能力を身につけるかに強い。

で、なぜコーチAとCTIの上級コーチが似かよるかと言えば、コーチがコーチたるには、 「学び学」の最初から最後までクライアントと共にいる必要があるからだ。たぶん、クライアントさんと共にいる実践の中で、今何をクライアントさんが必要としているか?に応えようとして鍛えられたのだろう。クライアントと共にいれば、クライアントの学びのフェーズに向きあわざろう得ない。

 

こう考えると、予備校の有名講師は、教え方が上手いだけでなく、「何故これを学ぶのか?」スポーツで言うペップトークが上手いのだ。学ぶためのレディネスを生徒に整える。だから、生徒は学びを起こせる。

 

メタ認知に感情が欠かせない」という事実は、深いインパクトがある。

語れない状態

コーチングに触れるようになってから、「なんておしゃべりなんだろう」ってRyoji☆自身のことを思うようになった。好きなように語る。比較的話が長い。

 

金曜の夜に仕事仲間の部署での公式飲み会があり参加した。で、久しぶりに、語れないし絡めないRyoji☆に直面してビックリした。

2時間くらいテーブルを共にしたが、ほぼ沈黙だった。

コーチングに出会ってから、いわゆるゴシップ話に乗るというのも、多少出来るようになってきた。

でも、金曜の会話はまるでダメだった。

 

うまく説明出来ないのだけど、情報として知らない芸能界や最近のドラマ情報のやり取り。で、「どう思う」が表明されない。だから、知らないとコメントのしようがない。

 

コーチング系や勉強会だと「この人はどんな人か?」「何を学ぼうとしてる人か?」徐々に謎だったピースが埋まってゆくし、そんな方向性なら「こんなこと知ってますか?」って、話が思わぬ方へ飛ぶ面白さがある。

 

大学時代からそうだが、この手の会話が苦手だ。

表面的で、なんの面白味もない。

 

 

後は年齢もあるのかなって感じた。場を共にしながら会話に招かれない。それって、会話仲間として思われてないってことかも。一緒に会話する相手じゃないみたいな。

Ryoji☆自身は場を共にしていながらそういう相手がいると、気になって仕方ないので、敢えて話しかけたりする。

 

後は、自分から「こんなこと知ってる?」って話題を提供してくことだろうけど、どうも取っ掛かりを相手と取り結ぶのが苦手なRyoji☆には、自分の興味関心領域に片寄りがあることを自覚してるがゆえに、ためらいがある。話の連想としてならいいけど、興味関心がない人に語ることじゃないって思ってる。

 

 

コーチングを学んでよかったのは、客観的に「あぁこういう状態にいるんだな~。」って、それ以上でもそれ以下でなく、振り返ることが出来るようになった。以前は、こういうモヤモヤした状態について、「あぁでもない」「こうでもない」と思い悩んで、沈んでることが多かった。今回は、意図的に選んだ感がある。「沈黙で行こう」とした。

 

 

振り返ってみると、今も昔も、会話のスタートが苦手。うまく会話に入れれば、昔に比べて対応出来るようになった。

橘怜「幸福の資本論」

まず幸福を成り立たせる条件として、金融資本、人的資本、社会資本の三つだと整理したのが素晴らしい。

幸福とはこの三つがプラスで成り立つこと。ただし、三つ同時は難しく、せめて一つが成り立てばよい。

個人が生きるために努力するのはこの三つなんだ

としてくれて、coachingに出会って10年、その最初の数年、この三つに投資したお蔭で、人生変わった。特に社会資本が充実したことが大きい。コーチングを通じて知り合った友はかけがいのない宝だ。

この本を読むとこれまで点だった知識が「そう把握すればよいのか?」と綺麗に整理される。

 

引用されてる調査や発想にハッとさせられた。

 

一つは、自然界において、勝者は一種だけ。ただし、様々なニッチな環境下においてはその勝者は変わる。

この事実は、サッサと自分の強みに特化した方がよいってことだし、マーケティング理論のポジショニングとはまさに戦う場所を選べってことはまさにこのことだなと。勝たないと生き残れない。だからこそ生き残れるニッチを選べ。

 

日本のサラリーマンは意外と幸福じゃないと思ってるって、世界的な統計結果から出ているってのも驚き。諸々観察すると、サラリーマンって在り方は特殊。だから、そこが合わないなら、違う選択に切り替えた方がよいってことも納得。

就職系の本で、「君はサラリーマンに向いてない」って著者が断言していてビックリした。著者によればサラリーマンには集団で過ごす対人能力や、やりたくないことでもやる力など、いくつかの必須能力がいる。それがないなら、サラリーマン以外を選んだ方がよい。

 

この本がいいと感じたのは、主張に対応する根拠が示されていること。調査の数値が変われば意見も変わることが明白。

 

honto.jp

新年の目標設定で大事なこと

 コーチでありながら目標設定というのが極めて嫌いで、先の事を考えて計画するのが好きじゃ無い。先の事を考えて計画するのは、未来への恐れから、未来に生じるであろう苦痛を回避するために今何をしたらいいか?はよく考えている。だから、未来に向かって明るく何か増幅させるという思考が欠如している。

(と言いつつ、コーチングを学んでから、時折間欠泉のように、実験的なワークショップをやってみたくなり、こちらはそそくさ、人に言われずとも嬉々としてやっているなぁ。うーん、矛盾している。)

 で、ここ数年やっぱりそういう志向性だと、「未来に因を投げる」なんてことはとうてい出来ないので、年初に目標を立ててみるワークショップに、何度かトライしている。

 でも、なんだかモヤモヤする違和感は残ったままだった。

ケリー・マクゴニカル「スタンフォードの心理学講義人生がうまくいくシンプルなルール」日経BP社 2016.10.
https://honto.jp/netstore/pd-book_28088061.html

---引用開始------------ 

「新年の目標設定」ルール

新しい年に「どう成長したいか」を考える
昇進や仕事上の業績といった「何らかの成果を達成すること」を目標にするのではなく、「どんな自分になりたいか?」を自分に問いかけてみる。

具体的な行動
 成果ではなく、どんなプロセスで達成できるかを考える。
 成果ではなく、自分のどの部分を強化したらいいかを考える。

p156

---引用終わり------------

とあって、驚いた。

と同時に、あぁそうだったんだ~と腑に落ちた。

問いかけ自体が間違っていたんだ。

達成感が薄いRyoji☆には、いくら成果を並べてもちっとも心が動かないし、重くなる一方。年末に、「これもあれも達成できなかった!」と負の方にばかり意識を向けて、なんでこんな目標たてちゃったんだろうと、心が痛くなる。

「どんな自分になりたいか?」だったら、大体イメージに大きな変化はないので、スッとこれだろうなっていうのが出てくる。

今度から、ここに意識を置いて、目標設定をやってみよう。