「コルトハーヘンの8つの問い」を巡る対話から

今回コルトハーヘンの8つの問いかけをグルグル回るという記述が、期せずして乾さんの8字理論と一緒で、再度説明いただきました。

8字理論。実に素晴らしい。

乾さんの視点は一貫して、「学習者にとってどんな学びが起きているのか?」です。
これまで「学習」と言うと、若者が社会化の過程で経験するものと同義だった。

しかし、これだけ長寿社会になると、大人の学びについてもっと考える必要がある。
大人は若者と違い、既に自身の経験から自分軸がある。だから、一旦経験からの学びをアンラーンし、越境学習によるカオスの中から、自分にとっての学びを掴み直す必要がある。そうでないなら、体験はしても、前後で学びは起きていない。

だから、8字理論にあるように、大人の学びには越境学習を起こすことが欠かせない。敢えてカオスに飛び込む学び。

で、乾さんが8字理論の説明の前に前置きとして置かれた、学校教育、企業内教育。どちらも「『既にある知識をいかに上手に内に取り込むか?』という種類の学びである」という点では共通している。

一方、WSDやショーン「行為の中の実践」的教育、師匠から学ぶ弟子がやってる学びは、そうじゃない。
常に自分の内なる軸にとって、「これはどういう意味があるのか?」他者の学びようから、我が身の学びを掴み直している。
ここを説明しているのが8字理論になる。

そして、今回コルトハーヘンの8つの問いかけを考える小節と8字理論を巡り対話する中で、いくつか大切なキーワードが出ました。

間。ニーズ。遊び。楽しさ。今ここ。やりながら修正する。事実・感情・意思・ニーズは切り分けて把握するのが難しい。

こうして8字理論で、学習者にとっての全体像。コルトハーヘンの8つの問いかけから、ミクロでの振り返りのポイントを合わせて考えると、この2つな理論からこぼれ落ちていることがあることがわかった。

まず「振り返り」って、簡単じゃない。そこにはコルトハーヘンの8つの問いかけが示すように、4つの段階、行為・感情・思考・ニーズがあり、私軸と相手軸がある。
ここはNVCでも、観察・共感・ニーズ・要求の4つのレベルがあるのと呼応している。
で、学びを起こすには、これをキチンと把握できることが不可欠だ。

これがどれもとても難しい。だけれど、訓練により上達することが出来る。

そこでキーになるのが、多様性。多様性のカオスに、問いを持ちながら、すぐに答えを出さずに留まると、何か見えてくるものがある。だから、多様性で拡散した後、私にとってはどうか?を定着させる「間」が欠かせない。多様性を確保するには、遊び感覚、「もし○○だったとしたら~」が欠かせない。自由さがあるから、よりよさを見付けることが出来る。

そして、今ここ、この場で起きていることを、お互いに探り会う、臨場感が大切だ。ライブであること。ここが若者の社会化する学びと違う所だ。
他者の学びを観て、自分の学びとする。
「行為の中の実践」の時、人はいつだってうまくやろうとしてる。同時に迷ってもいる。「これでよいのだろうか?」と。集中力を高め、やりながら軌道修正する。

ここまでをやって、初めて「学び」=内省が起きる。