スリー・グッド・ティングスと「それはなぜか?」を一週間記録して

ポジティブ心理学の演習で一週間毎日、その日の3つのよいことを書く。加えて、3つのうち一つ。なぜよいことが起きたか?理由を書く。を行った。

正直、終わってホッとしてる。この演習は居心地が悪かった。少なくとも10分くらいは「今日は何があったかなぁ?」と悩んでた。

まず困ったのは、どういうレベルの「よい」なのか?

よっぽど主催者に質問しようか?と思った。


「うーん」と悩んで、「こんなしょうもないことでええんか?」と悩む。何か自ら意欲を持ってDoしてればよきにつけ、あしきにつけ、どこかしら「よかった」と思えなくもない。でも、ダラダラと無目的に受動的に過ごすと、「よい」が見つからない。

「待ちぼうけ」の歌の「守株」や、空が落ちてくるんじゃないか?と悩んだ紀の国の人のエピソード「杞憂」を知った時、悩むことの無意味さについて考えたことがある。結論としては、人は楽観的でないと生きて生けない生き物なんだと思った。悩みまくっていたら、生活出来ない。ある面能天気さ、楽観さが必要だ。

すごくつまらないことを「よい」とするのに、心理的抵抗がすごかった。

実は大分前、たぶん10年前くらいからポジティブ心理学には興味を持ってはいた。
しかし、学びが進まなかった。幸せになるのをRyoji☆自身に許可するってことが、どうしても引っ掛かった。
セルフケアして充たされるってのも、どこかしら罪悪感が残り、浸れなかった。

今回ようやく「なんとかなるかな?」と思ったけれど、やっぱり受け入れがたさは健在だった。

理論として、こうしてよいことにフォーカスしていると、自然と視野が広がる。だから、解決も見つけやすくなるってのは理としてわかる。
でも、居心地の悪さ。収まりの悪さは相変わらずだった。

人の性質は、そうは変わらない。