大学の講義と学習

4/11よりほぼ1年間、図書館に関する講座の筑波大学の受講生となった。久しぶりに学校での授業形態を受けることになり、身体が悲鳴を上げてる。こんなダウンロード形式の学びは耐えられない。


社会人向けの講座で、かつその分野で働いている人たちが受講してるので、学部生の20代の人向けと同じ教授法でよい訳がない。伝えるほとんどは皆さんが知ってることで、ただそれを学問的な体系として知らないだけ。


2005年にコーチングを体験学習した。コーチング自体も衝撃だったけど、ワークショップという学び方もまた衝撃だった。体験、振り返り。ダウンロード形式の知識を先生から生徒へ置き換えよりも遥かにモノになった。そして、Ryoji☆自身の「知りたい」願望に火がついてのめり込んでいった。6年経った今でもその熱は収まってない。益々熱い。


今回の授業は図書館施設計画論で、そもそも建築って何?って話だった。やりたい活動のデザインがあって、建物という器のデザインが決まる、機能に形態は従うのがルイ・コビィジェが唱え始めた近代建築の基本理念なんだそうな。


ここを講義形式で先生が喋りまくる形式と、先生が問いを投げかけ、学ぶみんな同士で「どうだろう?」と語り合うのと一体どちらが学びとしてモノになるだろうか?火をみるよりも明らかに後者だ。
こうした抽象度が高く誰でも考えて参加出来る領域で、ダウンロード形式の教授法を選択するとは度しがたい。


更に、ここに学びに来ている人たちがそれぞれどんな希望や夢、知りたいことがあるのか?訊かないで一方的に喋るのも気に入らない。社会人向けなんだから、お客さんのニーズを知らず講義するなんて、Ryoji☆には怖すぎて教えられない。
学習の一つの工夫に、みんなの前で宣言させる、がある。自分自身何を学びたいか?言葉にすることで、自身の内省が起きるし、みんなに言うことで、周りも関心を持ちやすくなる。今ここに学びに来ている人たちの役に立ってこそ、教師の本分じゃないだろうか?


すっかりCo-Activeの概念に浸ったおかげで、もう一方通行な形式には耐えられない。これから来年の2月までこの調子かと思うとウゲゲだ。


そして、これからの図書館は、絶対一方通行にしない!相互作用を起こす工夫を施して、共に学ぶから楽しい。共に学ぶから創造がある。そんな場に変えるぞ!(そういうのを、インフォメーション・コモンズと言うらしい)