鎮魂

「〜とは何か?」の問いからは、説明が返ってくる。いろんな説明があり、次第にどの説明が正しいか?を説く神学論争になる。説明としての価値は等価だから、外部の補強をいかに導入するかの争いになる。しかし、価値観の世界はパラレル・ワールドを許容するので、そのストーリーはより大きな物語によりかかることにより、正しさを保証して貰う。本質をみていく。

一方「どのように?」の問いからは、順番が大切。プラス、なぜそうなっているか?の本質は捨象され、なぜはわかんないけど、現象はこういう構造で起きていて、これが起きるために必要な条件はこれこれって、知恵が蓄積される。関係性をみていく。


どちらも必要な思考方法。しかし、こと人に関する限りは、後者の思考方法が効果的だ。


こうして夏がやってくると、なぜあの戦争をやったのか?繰り返し疑問に思う。何故なら、父も母も戦争の影響を色濃く受けて、Ryoji☆を育てた。あの日本じゃなかったら、Ryoji☆の人生への影響はまるで違っている。何故空気のように、突き進んでしまったのだろうか?あの非合理の極みの精神主義に陥り、ほんとうはどうしたいか?の問いもなく、ひたすら一つの価値観に染まり突き進む。人の死者数をみるにつれ、一体人の命を何だと思っているのか?怒りが湧いてくる。

銀河英雄伝説」の小説の中で、「戦争を始める前、人は命より大事なことがあるといい。戦争を終わらせる時、命より大切なものはない。と言う。」という一節が頭に残っている。「草の根のファシズム」が指摘するように、後方にいた日本人が加害者でもあることは認めなくちゃいけない。だとしたら、どこで私たちはボタンを掛け違ってしまったのか?そして、一体何があったら方向転換することを私たちは出来たのか?をRyoji☆は知りたい。

最初に、人権や憲法の考え方を生み出したのは、すごい発明だった。与えられたとしか言えない社会関係を自らの手で改変する自由を手に入れたんだ。

だとしたら、もう同じ失敗をしない為に、私たちは何を学べるんだろうか?

現在の生命重視の価値観から過去の価値観を断罪するのは容易い。だから、そうやって語りたくない。

Ryoji☆が知りたいのは、空気(by山本七平)でなく、ちゃんと私たちが自分たちの手で私たちが欲するように私たちの関係を変化させることが出来るアーツなんだ。

草の根のファシズム―日本民衆の戦争体験 (新しい世界史)

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銀河英雄伝説〈2〉野望篇 (創元SF文庫)

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「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

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