×情報思念体;〇感覚に聞く

FゆFゆに「Ryoji☆は何が何でも自分の感覚に立ち返らないと嫌なんだね〜」と言われ、「へぇ〜」と思った。
苫米地英人さんが「新福音書」で述べている、抽象度をアップという考えは頭では成る程と思う。しかし、…。それは仏教で喩えるならば、密教の世界観。マンダラが宇宙に自在に展開する。Ryoji☆は原始仏教ならば理解出来るし、その感覚も馴染み深い。修行レベルの差は感じるけど、納得する。マントラを唱え、宇宙と一体となり、その大いなる力を現世で行使する。その肌感覚のブッ飛びぶりには着いていけない。

そういった意味で、Ryoji☆は肉体の業への執着を棄てきれないのだ。魂を重力の井戸の底にうずめてる。

MBTIで、初めてこの感覚/直感を知り、ビックリした。Ryoji☆が苦手な人は皆さん、直感で、話が飛躍していく。順序立てて話して貰わないと、理解出来ない。世界体験がこんなにも違うとは…(嘆息)。


さて、ここからの問いは、その違ったアプローチがあることを知り、その上でどうしていきたいのか?
まずキッパリ諦める。長年Ryoji☆は感覚でやり通しているので、何かを学ぶとしたら感覚から学べることにする。
次に、直感の友人を大切にする。意見を求める。ここぞって時に行き詰まってしまったら、助けを求める。Ryoji☆には見えない何かを見つけてくれる。
最後に、敢えてミラーすることを試す。敢えて直感タイプをやってその世界を味わってみる。恐らく最低の経験になるはず。


強いて言えば、こんな風に在りようを選べる所に人の自由さの由縁があるのかも知れない。

ドクター苫米地の新・福音書――禁断の自己改造プログラム

ドクター苫米地の新・福音書――禁断の自己改造プログラム