いい加減と突き詰め:最上志向への違和感

ストレングス・ファインダーにおいて「成長促進」が上がったように、Ryoji☆は関わる相手が伸びようとしてる方向に興味がある。

この人が十全に花開いたらどうなるだろうか?


それはRyoji☆の基本スタンス。

そうしたRyoji☆の志向性にとって、最上志向は似て非なる感じ。何となく、兆しが分かればいいじゃんのRyoji☆に対して、最上志向はその時のベストを極めようとする。Ryoji☆の感覚だと、そこまで極限を志向しなくても、やりたかったらやればいいし、やりたくなかったらやらなきゃいいし、何が何でも今の最高を!求めない。だから、「で、どうなるのが最高なの?」の問いは、苦しくなるだけで、Ryoji☆にはあんまり大事じゃない。
ただ、コーチングにおいてその観点は大事で、前に進もうとする原動力はそこにある気がしている。

それにしてもコーチ仲間に聞くと、大抵「最上志向」がある。コーチ=「最上志向」って言い切ってもよい感じがする。コーチングに漂う大前提に、確実にその突き詰め感があるのだろう。
このことは肝に銘じた方がよい。知らず知らずのうちに漂わせてしまっている何か。ここがカウンセリングとコーチングの別れ道。カウンセリングはそう感じられる心に寄りそうだけ。現実を変えることには重点はない。心のとげを抜いて、「痛かったねぇ〜」と、いい子いい子する。一方コーチングでいくら「自由に」と言ってもそれは、前向きに人生を変えるべく人は前進したがっている、という人間観が前提になってる。そんなに生きようとしてる人ばかりじゃない。それがロー・ドリーム・マスターであるRyoji☆の根源的な反発。