それでもコーチングに回帰する理由

なんだかんだと悩みながら、コーチングに引き寄せられてしまうのは、現実化への力強さにある気がしている。


2005年2月にコーチングを学び始めて、知り合った人達の軌跡を仲間同士で振り返ると、皆大きな変化を遂げている。自然とミラーのRyoji☆は、当時その人がどんな気持ちだったか?、正確に覚えているとは言わないが、だいたいこんな感じだったという感触はある。だから、今当時とは違う場所に立って、事に望もうとしているその姿は、凛々しく気高い。何かを超えて来た人の顔だ。

コーチングを通じて、色々あるけど、私はこうありたいと内なる声と向き合い続けた人の歩みは力強い。何度もトライしてやり直して、一番自分に合った道を見いだして行く。


こうやって書くと、何だかすごい試練を耐えて超えなきゃって思うかも知れない。コーチ仲間のそれは実にバカバカしいほど、笑いあり涙あり、楽しいものだ。

よりありたいを目指す。


そこで前提となっているのは、恐ろしいほどの未来に対する楽観主義と、人生エンジョイ!ワクワクしない人生なんて勿体ない!という熱気に満ちたものだ。


人生をフルに感じ尽くす。


どの想いも無視しない。どの想いもちゃんと味わう。喜怒哀楽の全てを100%。そして、もし出来ることならば、悩むという最も不毛な時間をショートカットし、今この瞬間の人生を生ききる。


ハハハ。だからRyoji☆もいつまでも「苦悩好き」なんて言って喜んでる場合じゃない。勿論「蓼喰う虫も好き好き」だからそうしていてもいんだけどね。

何だか書きながら何故Dんなが「ザッツライフ」とネーミングしてくれたのか?その心持ちが理解出来るようになった気がした。当時は???だったけど。