コーチという仮面

「『コーチングしてない時の方がRyoji☆はコーチらしい』って言われるんですよ」とお話していたら、「それって、Jijiさん。コーチって仮面を着けてるってことじゃないですか?きっと訓練の過程で、『今、ちゃんとコーチング出来てるか?』セルフ・チェックする癖がついて、意識がクライアントさんじゃなくて、Jijiさんに向かって、Jijiがそのことにどう反応してるか?に意識のベクトルが向いてるんじゃありません?」って指摘された。


うう。図星だ。


感情モニタリングとかフォーカシングとか、とにかくRyoji☆の内面を探る訓練ばかりをやっていて、意識のベクトルが内へ内へと向かいがちだ。

だけど大事なのは、あくまでクライアントさんと共に居続けられるかってこと。理屈で考えると「そんなの無理!」って言いたくなるけど、そうなってる状態をRyoji☆は確かに知っている。身体はそう出来てる瞬間を確かに知っているのだ。

そこの状態においては、Ryoji☆は消え失せて、好奇心の塊と化す。クライアントさんが抱えてる何かって何?
それは未知との出会い。クライアントさんの想いとの出会い。それに触れると、「うぁ〜!」となる。生きて来た軌跡が詰まってるんだ。

そこに触れさせて貰えると深い喜びに包まれる。

こうした関係を人と人は取り持つことが出来るんだぁと知った以上、何度でもコーチの仮面を外し、素のRyoji☆で会いに行こう。
「本当はどうしたいのか?」と、真正面から面を打ちにクライアントさんに飛び込むのではなく、合気のごとくクライアントさんの隣に身体を合わせ、クライアントさんのそこにある何かへ好奇心を向けて、「〜って何だろうね?」と問おう。

それがRyoji☆がRyoji☆で在るってことだから。