モデルなき道を歩む

コーチングを通じて生み出そうとしているのは、他の誰でもないあなただけの人生をより納得するものとして創造すること。それは往々にして、道なき道へ歩むことになる。最初からどう行けばいいのかなんて判らない。現実との格闘を通じて、その軌跡を後で振り返ったら、あぁ。私はこんなことをやりたい。これは他の誰でもない、私にしか出来ないこと。これが私の生きる道


しかし、その道は直線ではない。挫折。寄り道。停滞。色々な出来事が突発的に起きる。それでもなお。常に私が帰る場所。あぁ。幸せの青い鳥は、他でもない、我が心と共に常にここにいた。私が私らしく、自然体でいられる在りよう。


人は弱い。


ただ己でいようとするだけなのに、周りに流されてしまう。やはり私には無理だったんだと、己自身の声に負けてしまう。


そこで己を見失わずいるために、他者が必要となる。支え受け入れて、己自身を照らし返してくれる他者が求められる。
そこで何故お金をとってコーチなぞ成り立たせようとするのだろうか?そんなのは、友達関係・地縁・親戚関係が昔から自然と補って来たことじゃないだろうか?

だから、こうした金銭関係に落とし込むことは、人倫に反している。これはいい!是非やるべきだと断言なぞ出来ない。むしろ共同体が持っていたであろう、ご近所さん感覚をこそ取り戻す試みをやり直すべきではないのか?

Ryoji☆はここに繰り返し現れる人々の願いを感じる。そうであってほしい。同時にそれが夢というか、そんなことは実現された試しがない。自由を手に入れた代償として失った何かなのだ。だから、ここでその是非を論じても無意味だ。

忌々しいけど、そうした機能はほしくてもそれがない。じゃどうするのか?


岸英光さんの著作を読んでいて、重大な決断をする人の心の健康さは大切だと説かれていて成る程と思った。多くの人に影響を与える人が偶々その時、不機嫌だったからと、ベストのその人でない決断をされたらたまったものではない。心理的な健康さは自己責任において確保しておいてほしい。

リーダーとは正解が判らない世界の住人だ。共通了解を作り出そうとしている。そこで、自らの影に喰われることなく、己の光を信じて進む。何故ならそうあるのが私らしいことだから。

あぁ。人とは実に厄介な存在だ。己らしくあるために、他者が必要なんて。