Ryoji☆はコーチングしてる時がCo-Active Coachingから一番遠い!

マイ・コーチとのセッションで「コーチとしてコーチングしている時を語るRyoji☆と、普通にコーチ仲間と語らっているのを語るRyoji☆とでは、明らかに後者の方がエネルギーが上がるね。あのさー、どっちがよりCo-Activeだと思う?」苦笑してしまった。そりゃあ、後者でしょ。「その差は何?」そりゃあ前者はCo-Active Coachingをやるために色々考えてる訳さ。この指針を今切っているから、次は何しないといけないかなぁ。次はこれやんなくちゃ。そろそろいいかなぁって。「そっかRyoji☆は色々忙しいんだね?」苦笑。うん。忙しい。あぁそうかぁ、Ryoji☆自身の事ばかりで全然クライアントさんに入り込んでいないね。あぁそれじゃあ、Co-Active Coachingが機能しないのも最もだね。「じゃあさ、普段のRyoji☆はどうみんなに接している訳?」そりゃあ、その人にRyoji☆はいっぱい思い込みがある訳。で、ある像をその人に造る訳。で、観察しながら絶えず訂正する訳。である時、明らかにおかしい時ある訳。Ryoji☆が描く像のその人だったら、それをやるのは勇気がいるはず。でもその人はそれをやっちゃう訳。だから、ほんとすごいなぁって感心してる訳。「そこからわかるCo-Active Coachingを実践する上で大切なことは何?」そりゃあ、その人のコアに迫ることだと思うよ。仮に違っていたとしても、あなたはこんな人だよねと常に関心を向け続けていること。

なんだかマイ・コーチの質問に答えているうちに、ずっと謎だった「Ryoji☆って愛されキャラだよね〜」ということがわかってきた。ことあるごとに自分のコアに視線を向けて、コメントをしてくれる他者がいたとしたらどうだろう?しかも愛語で語ってくれる。それが真実か否かは別として、嬉しいよね。もっと聞かせてって思うよね。つまり、そういうことを無自覚にやっていたんだなぁ。そして、それこそ小学校6年の時に、最も許せなかったRyoji☆でもある。だから、それを認めたら、あの後悔を再び繰り返すことになるのがイヤだから、「判らない…」を繰り返していたんだなぁ。


しかし、それはそう在りたいと願うRyoji☆の在りようだから、手放す訳にはいかなかった。そういうことなんだな。


「ちょっとちょっとRyoji☆さぁ。日常的にコーチってすごくない!Ryoji☆って天然のコーチなんだよ♪」

うーん。それを認めないのはRyoji☆だけで、周りのコーチはみんな知っている。Ryoji☆はコーチだと。だから、CPCC試験において、Ryoji☆なら大丈夫!形式として問われることがあるとしても、だってもうコーチなんだから。そんな想いだったのかも知れない。

実に有り難い。感謝だね。