還るべき場所

アシスタントとして参加していたJゅんJゅんに呼ばれて、CTIの応用コースの最後ITBの飲み会に参加した。A作さんには「また、来てんの?」と呆れられた。ほんと、2005年8月に終わって、2006年9月に、Kみ子さんとNべゆきさんに諭されるまで、知っている人がいると、ITB後の飲み会へ行っていいか?お願いして、毎月のように参加していた。それだけITBって何か判らず、取り憑かれたように、何かを探しに行っていた。あれは一体何か知りたかった。

「こんなアブノーマルな人たち見たことがない!」とYりさんが叫んだのを聞いて、また一つ謎が解けた気がした。

Lぶり曰わく「コーチングで会う人会う人みんな『ピン芸人だbyY田夏子』!」。ハァ〜?意味がよくわからなかった。「もちろんRyoji☆もそう♪」ハァ〜?「だから一緒にいてとっても楽しいんだ♪」むむむ。

Dいちゃんが原書を読む会で、「Fulfillmentとは、全くもって個性的」という定義を発見して興奮していた。「俺はこれを知るためにここに来た。」(セリフはRyoji☆の記憶から捏造)

そうそう、社会が要請しているからと、自分の内面の一部を自分の意志で他者に明け渡しながら、私たちは生きている。この内面化のゲームは、あれ?もしかして選べるんだ!と気付くまで続く。それが現実だからと諦めて許しているのはあなた。

そう、そんなあなたは共同幻想の元に、自然と、あなたらしく在ることを諦めてしまっている。あなたの意志をどこか誰かに譲り渡してしまっている。
あぁここが自分の還る場所だと実感した時、急に楽になる。力が抜けるに従って、大地からのエネルギーを受け取り、満ち足りる。
そんな境地にいる人は、すごく個性的。社会の一般常識が通じない。だけど、呆れるほど魅力的。エロスがある。なるほどそんな生き方もいいなぁ。そう一緒にいると感じる。
でもそれは現実との折り合いをどこで付けていくか?出る杭を打つ風土の日本において、それは試練の毎日だ。だから、その摩擦を避けるため、自分を打ち消すことをいつの間にか習性にしてしまっている。

だから言う。「いや、必要になったら出しますよ。」
うん。頭でそう思っていても、一度ちゃんと自分のリミッターを外したことがないと、一体自分の力がどれくらいであるか知らないから、意識して選択なんて出来ないんだ。選択の積もりが選択になっていないんだ。

「自分に還るBYDいちゃん」とは、規格=世間=常識から外れて、自分のコアと繋がり在ること。だってそう在るのが、私。理解されようが、誤解されようが、他の誰がなんと言おうと、私の内なる声がそうあれと囁いてる。理由なんて分からない!

「それじゃバラバラになっちゃうよ」と心配するかも知れない。和音が美しいのは、単音が澄んでいるから。単に音が重なっただけでないプラスαがある。それはちゃんと単音が自分の音をやりきってるから。Ryoji☆は和音の作り方をいろんな所で学んでる最中。

道はそこにある。ITBを経た人の顔は、還るべき場所へ還って来た顔。おかえりー。今やっと笑顔で迎えられる。

柴田昌治の変革する哲学 (日経ビジネス人文庫 ブルー し 5-6)

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