信じる強さ:ただあることから

「一体Co-Active Coachingのどこがよくてここまで学んで来たの?」


マイ・コーチに改めて質問されて詰まってしまった。どこがいいんだろう?いつの間にか夢中になって「知りたい!」という想いだけでやり抜いて来ていた。


しばらく時間を置いて出て来たのは、生き生き感だった。

エロス。生の喜び。自らが人生の主人公として、人生を描く喜び。より深く、自らが何にエネルギーが上がり、欲しているのかを自覚し、掴む繰り返し。


「あぁ。この人、コーチだ!」と感じる時、決まってコーチから放出される強さを感じる。磁場みたいなもの。コーチはジッと揺るがない。力が入っている訳じゃない。ただある。その姿勢でクライアントさんを包み込んで、クライアントさんの内から上がる何かを感じ取りやすくしてくれる。信じている。それは言葉にしないでも、身体が感じ取る。Uっちーが「Co-Active Coachingで大切なのは、クライアントさんがCreativeでRresourcefulでWholeなんだってことを、どこまでコーチが信じきれるか?にかかってるんじゃないかなぁ。」と言っていた。

ずっとRyoji☆が誤解していたのは、いかに信じているか?を表すのは、詰め寄る激しさなのか?って思い込んでいた。だけど、Ryoji☆にそんな激しいアプローチをかけるコーチには違和感を感じた。狭い部屋の隅に追い詰められて、ガーガーこじ開けられる気がして、身体が拒絶した。「まるでわかってない癖に何様のつもりや!」同時に、そこに込められた意図も感知してしまうので、「気持ちは嬉しいけど、そのアプローチは止めて!」という葛藤になってしまう。

FゆFゆに紹介していただいた飯田先生の妖しい稽古で、頭では理解出来ないけど物理現象として認めざろう得ない力の現れに、?が点いた。そこで現れていたのは、イメージで力を限定するとそれだけだけど、大きく描けばそれが力となる。

そう。物理的接触の強さが力の伝わる強さじゃない。いかに突き抜けて在るか?あたかもそれが実在であるかのように、振る舞うか。

コーチだと感じる人は必ずその人なりの軸がある。そこから揺らがず、静かに在る。多分その方が力は場に現れ、クライアントさんに響く。そう多分これが信じる力だ。コーチが纏う何か。

マイコーチが「その時、Ryoji☆は何を感じてるの?」と訊くので、間をとって出て来たのは、「クライアントさんの美しさ」だった。感動してしまう。それに触れると泣ける。言葉を失って胸がいっぱいになる。本当はこうありたかった!その願いの煌めきに痺れてしまう。


真の強さとは、そんな美しさに取り込まれるでもなく、後押しするでもなく、ただあるがままをあるがままに返す。その所作の潔さにある気がする。