[CleanLanguage]Ryoji☆は人に関わるのが怖いんです:NCRW再考

2005年3月のCTIの応用コース、フルフィルメントで、3日間のワークショップが終わった時、腰が抜けて立てなかった。当時それはなぜだったのか?分からなかったし、その後も長い間謎だった。そして、バランス、プロセス、ITBとコースを進むたび、ワークショップリーダーに3日間の関わりをお礼に行って、リーダーから2言、3言言われると、号泣していた。何がそんなに琴線に触れるのか?さっぽりわからなかった。特別な言葉を言われた訳じゃない。コース中ずっと言われていたことを繰り返して伝えてくれただけ。だけど、泣けて泣けて仕方がなかった。


People are naturally creative, resourceful, and whole.(略してNCRW)


頑張ってコーチングをしようとすればするほど、クライアントさんの一挙手一投足過敏に反応し、コーチングできなくなるRyoji☆が浮き彫りになり、人に関わる前にRyoji☆自身をなんとかしないと、関われないのが辛くて、苦しかった。理屈ではわかる。すべてはクライアントさんはNCRWだという在りようからコーチはぶれない。でも、できない。気が狂いそうだった。

まさに映画のマトリックススターウォーズヨーダが語る通り、「あれ!」なのだ。

11/19(土)クリーンスペースのセッションを受けて、この10年来の謎が腑に落ちた。


Ryoji☆は人に関わるのが怖くて怖くてたまらなかったんだ。


言いようによっては、「感受性が豊か」とも言えるけど、別の言い方をすると、ガラスの心臓で、人に関わるのが怖くて怖くてたまらない。だから、「相手に嫌われたくない!」のがマストだった。
その癖、とてもお節介で、人を助けたくて堪らない心を持っている。だから、クライアントさんがちょっとでもハイドリームを語ると、飛びついてしまう。そして、少しでもロードリームを語ると動揺して、「Ryoji☆の対応が何かまずかったんじゃないか?」と、クライアントさんを全く見ずに、Ryoji☆の内面に焦点を合わせてしまい、頭が真っ白になる。クラアントさんにすれば「共にいる」感がゼロ状態になる。

大学時代に友人からアサーションって考え方を教えてもらって、理屈はわかっていた。そして、どうすれば、人を傷付けず、自分の思いも伝えられるか?を学んだ。

しかし、この学びは、頭の知識レベルで、全然腹落ちしてなかった。だから、実践はからきしだった。

2005年3月のCTIの応用コース、フルフィルメントでRyoji☆は人が本当に関わる可能性を見せてもらった。コースを共にする仲間の愛が場に溢れて、すごいエネルギーだった。

人に関わるのが怖くて怖くてたまらないRyoji☆と、人を助けたくて堪らないお節介Ryoji☆がいて、そのバインド状態で、全く人に関わることができなかった。

だから、初日、「近寄ってくるな」オーラ全開で座っていた。基礎コースで何かが決壊して、人に関わるのが怖くて怖くてたまらないRyoji☆を維持できなくなっていて、以前のRyoji☆でなくなるのが怖くて、そうするしかなかったんだ。

そしたら、何と2人も話しかけて来た!その内のAさんには、後日、話しかけたらRyoji☆はすごいまとも過ぎて、詰まらなかったと言われた。(苦笑)そして、そのうちのSさんは「面白いね!」って笑ってくれた。

そして、最初の3人組で、Sさんがコーチで、Ryoji☆がクライアント。Kさんがオブザーバーだった。で、「基礎コースで見つけた在りたいあなたは何ですか?」と聞かれ、何かがはじけ飛んだ。人を助けたくて堪らないお節介Ryoji☆が目を覚ましたのだ。

後はほとんど記憶がない。3日間のワークショップが終わった時、腰が抜けて立てなかったことだけ、よく覚えている。

だけど、人を助けたくて堪らないお節介Ryoji☆が身体で感じたのは、こんなにも人って人と繋がりたがっているし、そのあるがままにOKを出し続けること。安心安全な場で、その人の内側に眠る光が溢れると、なんとも言えない満たされが、身体全体に満ち、あぁこんなにも人を助けたくて堪らないお節介Ryoji☆の声をRyoji☆の内側で押さえつけていたんだ…。

そして、それは、そういうプロセスを今は通過中。その途中を一緒に同伴させてもらっただけ。私はあなたのプロセスを信じ、ここへ居る。それは祈りでもあり、人の可能性だと思う。

で、一瞬、有り得ないことをやっているRyoji☆を知った。

そこからの10年は、
 人に関わるのが怖くて怖くてたまらないRyoji☆
 人を助けたくて堪らないお節介Ryoji☆
をどうRyoji☆の中で受け入れるか?の旅だったんだ。

有り得ないことをやれたRyoji☆はどうしてもこれを物にしたかった。だって、それは
人を助けたくて堪らないお節介Ryoji☆の望みだったから。

でも、できない。

人に関わるのが怖くて怖くてたまらないRyoji☆が暴れてしまう。

おそらくコーチ仲間には、人を助けたくて堪らないお節介Ryoji☆が見えていたんだと思う。どうしてもそうやってしまう。それがRyoji☆なんだなぁって。
 でもRyoji☆は受け取れない。
 人を助けたくて堪らないお節介Ryoji☆なんて、Ryoji☆の内側のどこにもいないと繰り返し繰り返し、受け取りを拒否した。
 だって、感じるのは、人に関わるのが怖くて怖くてたまらないRyoji☆だけ。どうやってもNCRWができない。「一つの意図だ」と頭で押さえつけようとしてもできない。


尊敬するフォーカシングの伝え手のアンワイザー・コーネルさんが
「The radical acceptance of everything」という題名の本を出したと知った時は、心底驚いた。有り得ない題名だと。Ryoji☆には、いくつも受け入れることができないことがあった。無理だと。

11/19(土)クリーンスペースのセッションで、Ryoji☆がやりかった関わり方はこれだったんだ!って改めて実感した。
とにかくクライアントさんのプロセスを邪魔しない。出て来たものはクライアントさんのもの。いいも悪いもなく、ただ今はそうあるだけ。実にシンプルで、エレガントだ。後は、クライアントさんが学習する。どうしようもなく、できたものは、自分100%。なんの混じりけもない。説得され、認めざろうえない。これは私の物。
で、これが在り在りとある私はこれからどうしたいのか?それはクライアントさんの学び。ファシリテーターは何もできない。

フォーカシング、CoActive Coaching、そしてクリーンランゲージ。
この3つの技法があれば、Ryoji☆には十分。

人が人を尊重する、その繊細さはここに極まった。

「The radical acceptance of everything」が実現できた時、NCRWもまたそこにある。

それには、Ryoji☆自身の
 人に関わるのが怖くて怖くてたまらないRyoji☆
 人を助けたくて堪らないお節介Ryoji☆
を許し、認め、その両方があるのが全ったきRyoji☆なんだ。

今の解釈だと、リーダーにあの時言われたのは、「これはペイフォワードだよ」って。「今は確かにRyoji☆はできないかも知れない。でも、もう知ったよね。分かったよね。だから、次にRyoji☆が関わる相手に是非、同じことをしてあげて。人が人に関わる可能性に満ちた時、こんなにも人は愛おしいんだと。」


これまでRyoji☆に関わり、惜しみない愛を送ってくれた全ての仲間へ感謝を込めて。