目指す境地はCo-Active Coachingではない?!

4/9にお会いしたAっこさんに「ブログ読んでます。毎日あれだけ書けるってすごいエネルギーですよね。」と言われた。うーん。単に苦悩してるだけなんですけどねぇ〜。日々悩みだらけで、身が持たないんですよ(笑)

「不合格」を巡る気付きの第3弾。いよいよRyoji☆が目指すゴールをめぐってです。


Dんなにリレーションシップ・コーチングを教えてもらい始めてから、コーチングが崩壊しているのがRyoji☆自身分かってる。これまでCo-Active Coachingに感じていた違和感が全開になり、やれなくなっている。やっても、あぁ無理してるというのがやりながら自覚している。

Dんなの説明を繰り返し受けるうちに、Co-Active Coachingが暑苦しんじゃなくて、Ryoji☆が暑苦しいんだってことが自覚出来るようになって、ますます手の付けようがなくなってしまった。

もう駄目なんだ。タオに逆らうことを、Ryoji☆が他人に強制するのは。迷いもまた必要なプロセス。失敗も必要なプロセス。結論が出なくて、どうしよう?も必要なプロセス。できるのはそこにある何かを花開かせるだけ。それすらよくわかんないんじゃ、Ryoji☆にはもっと判らない。「わからないだー」で終わり。
Co-Active Coachingをやっていると、アイクチを喉に沿えて「ちゃんと本音だしな」とクライアントさんにピタピタやってるロールを引き受けそうで、Ryoji☆の中の何かが全身で、「違う!」と拒絶しているのがわかるようになってきた。
ある面全ての現象を個に責任を取らせる。だからこそ、存在の活性という素晴らしさも生まれる。しかし、人は1人なのか?東洋的な常識だと縁で私は成り立っている。全ての原因の矢印を個に向けられても、実感として苦しい。どんな世界を見るのかの責任を1人で背負い、世界を創造し続けるのは大変だ。

逆にリレーションシップ・コーチングは、訳がわからないけど、楽。全ての責任は縁にある。私には責任があってない。全てあるがままに。それ以上でもそれ以下でもなく、淡々と「然り」と見続ける。プロセスのタオに従い、それに教えを請う。

昔からこの「なすがままに」って考えが嫌いなのは、「現状のままでいい!」と主張してる気がして、それがより良くしたいと熱血する暑苦しいRyoji☆には気に食わなかった。「このくそったれな世界はみんな間違ってる!正しく書き換えなければならない!」青春に燃えていた。

ますます解脱レベルをあげ「人生をマスターする方法」を著し「人間」から遠ざかるDんなや、いい人レベルが上がって雄と認識されないことに悩むFゆFゆの後ろ姿をみていると、なるほどタオのいざないに身を任せるとはこういうことか?と得心がゆく。スマナサーラ長老の「怒りの無条件降伏」で紹介されている、ブッダが説いているように、真に己のタオとつながる時、外界からの刺激に動じず、「だから何?」と極めて冷静な無関心を貫ける。そのインパクトたるや、これまで消極的、後ろ向きと思っていた以上にスゴイ。無理がなく、常にその存在感を周りに示し続けている。誤解を恐れず言えば、二人とも何も変えようとしない。周りが二人に合わせて勝手に変わっていくのだ。

Ryoji☆はCo-Active Coachingをも包含する何かを得て、Co-Active Coachingの試験を合格するという離れ技にこれから挑戦しようとしている。それがRyoji☆の「あるがまま」らしい。

ホントにそんなこと出来るんだろうか?
一体何をみんなはRyoji☆の可能と感じとったというのだろうか?
前人未踏のRyoji☆自作自演の苦悩の道は、ほんととんでもないことを要求している。