「違う」を受け入れる

Ryoji☆の強固な思い込みの一つに「(どんな人でも)話せばわかる。」があった。長時間をかけて話あえば、理解可能と信じていた。「話せばわかる」と言った犬養首相が殺されたのは、ある意味「何故だ!」という怒りを常に呼び覚ますし、話合いでの変化するスピードの大切さを思い起こさせられる。だから大学で宮永教授に「自己と他者との間には絶対的な断絶がある。」と教えていただいてのは衝撃だった。しかし、反証を考えれば考えるほど、その正しさの理解が進んで唖然とした。
しかし、そうは言ってもまだ「違う」を軽く考えていた。同じ世界に生きているはずなのに、全く違う内的世界ですれ違いあっているなんて、そんな世界は信じられなかった。
今回、「違う」のRyoji☆にとっての恐ろしさをちゃんと味わえたのは、自然の在りようをちゃんと味わった経験があったから。
よくよく葉っぱを見て、なんでここにこの形でこうしてあるんだろう?と考えた。それから頭を空っぽにして、それと今ここで場を共有していることを味わう。更に進んで、何も考えず落ち葉の中に身を投げ出す。そんなことを繰り返して、「あぁ『違う』っていいなぁ」って感じた。これだけ違うから豊かさが在る。しかもそれぞれが生き切っている。いい加減な生はない。そう在ろうとやり続けたからこそ、そう在る。そう思うと単なる「物=それ」は貴重だし、在るだけでそこに美がある。

Ryoji☆とは異なる別の意図。意志。他者がそこにいる。そして、それをありのまま受け入れ尊重する。

他者を認めず、他者存在を否定することばかりを繰り返して来た気がする。「あなたは間違ってる!私が正しい。」そこには争いがある。今、Ryoji☆は「違う」を受け入れて、他者を理解し、Ryoji☆とあなたで創る関係をゆったり育てていくことを選ぶ。その反応に責任を取る。時に激怒したり、どうせRyoji☆なんてとなったり、Ryoji☆がやらずに誰がやる!となったりするかも知れないが、それはみなその選択を選ぶことを学ぶ過程で起きること。

わかり合えない。違う。それは真理。しかし、それを超えて、私達は凄いハーモニーを創り出す。それは一人では想像出来ない何か。増してお互いが透明となってその体に何かを流す時、現実が溶解。時空間がゼロと化して、何かがそこから生まれて来る。私のエゴを越えた先に、まだ誰も知らない何かが起こる気がする。それは意図があるから、鮮明で美しい何かが立ち上がって来る。その創造性の素晴らしさに、きっと言葉が出ない。こうも在れる。誠、人は可能を起こす。

ラヴ・ビッチ 愛される自分に変わる100の恋愛キーワード (ソフトバンク文庫)

ラヴ・ビッチ 愛される自分に変わる100の恋愛キーワード (ソフトバンク文庫)