「今日もまた運命の分かれ道なのである」

今、かつてない人生の上げ潮の中にいる。プライベートも、個人で企画してることも、「こんな風になったらいいなぁ」ってことが、まるでドミノのようにパタパタと展開して現実化している。もちろん何もしないで棚ぼたじゃないけど、こんなRyoji☆にとって嬉しいことが次々押し寄せてしまっていいんだろうか?って感じがする。Ryoji☆がRyoji☆の人生をちゃんと生きてる。まだそう多くはないけど、「Ryoji☆、ちゃんとよき方向に歩んでるよ」って兆しも見えるようになった(言い方が怪しいので厳密に言うと、Ryoji☆がこんな人に会いたかったって人に「会えた!」って時、そう感じる)。

今、繰り返し伝わってくるメッセージは、「在りようを尊重しなさい。その在りようを十分に展開させなさい。」ってこと。それを掻き乱すと、どこでもうまくいかない。単純だけど奥が深い。芽を吹き出すように見守り、慈しみの心で接することは、少しでもRyoji☆の心に邪念があったり、相手に対して嫌悪の念があると、たちまち失せてしまう。そこかしこに兆しが溢れているのに、見逃して行方がわからなくなってしまう。それは最初から在るのに、見えず触れられず聞こえない。全てはRyoji☆の心が見えず触れられず聞こえないようにさせている。

「今日もまた運命の分かれ道なのである。」

マンガ「One_Piece」の黒ヒゲ海賊団の射撃手が、船長の黒ヒゲと白ヒゲ海賊団の隊長のエースが決闘している時のセリフ。この時のエースはかっこいい。エースは損得や生死のために生きていない。エースにとって価値ある人生、「白ヒゲを海賊王にする」ために生きている。エースにとっての在りたい生き方を命一杯貫いている。そこに迷いや悔いはない。


たぶんこのセリフが思い出されて、こんなにリフレンしているのは、Ryoji☆にとって人生とは、いくつもあった分かれ道を先のことは考えず、命一杯足掻いた結果としてある。だから、改めてその玄妙さにうたれるし、Ryoji☆が求めた在りようは朧気ながら、共通の何かを含んでいることにも気付く。そっか、自ずから立ち現れるRyoji☆らしさを、もっとRyoji☆自身が尊重し踏み込むことが、生きてるって実感を産む根源なんだろう。意図を尽くし、未来に因を投げて、今を創る。今から過去を捉え直す。過去に新しいストーリーを付与してあげる。


まだまだ知らないこと。わからないこと。迷うことは多い。しかし、人生の上げ潮を感じ、ツキを感じ、強運の導きに従っている実感のある今、何よりも人を大切にしたい。人の持つ根源の美しさにRyoji☆は魅せられ、もっとそこで触れ合いたいと願っているのだから。

ONE PIECE 46 (ジャンプコミックス)

ONE PIECE 46 (ジャンプコミックス)