10/15企業内コーチ・フォーラム2010:ここから先へ_に参加して

まぁ飽きもせず5年も参加している。というのも、企業内コーチってことには、Ryoji☆がかなり内的抵抗があって、こうして運営スタッフのみんなとも知り合いだし、やろうと行動を起こせばいくらでも可能でありながら1ミリも行動を起こしていない。こうして参加してるのは、やってるスタッフのみんなを応援したいってこと以上何もない。

Ryoji☆の内で上がるのは、停滞って言葉だ。


Kみりんがゲスト・スピーカーとして、ビジョンと現状との間に緊張構造が出来ればゴムのように行動が生まれる。すると、自然に次のビジョンが見えてくるとおっしゃっていた。Dんなの説明がすっかり血肉になってる。Kみりんの凄さは、コーチングに出会って、ずっと学び続けているとこなんだなって感じる。


企業内コーチに限らず、コーチング全般に言えるのは、ビジョンがわかりにくいことなんだろうなぁって、最近感じる。

Kみりんは天性のキャラクターで、「ウナギを売りたかったら匂いを売れ!」をアドバイスしていた。
コーチングを愛して止まない人ほど、コーチング自体の良さを強調する。しかし、そうすると周りは「宗教?」って引く。引かれるから余計、熱心に説く。で、ますます引かれる。
Kみりんが実践されているのは、コーチングを受けてどんなに我が身によいことが起きたか?おしゃべりすること。それが嫌みでないのは、Kみりんが「私の使命は、他の誰でもない、あなたのお役に立つこと」ってBeingなので、それを語ることは相手のためで、自分のエゴじゃないから。だから、相手に届く。Kみりんのキャラクターの勝利。


Kみりんの説明にあったように、ビジョンは変化する。かつ、個別で異なるから一般化しにくい。Kみりんも「私は相手のお話を聞いて、私に降りて来たものを返すタイプなんで…」とおっしゃっていた。



Dんなのエグココ会に出ていて感じるのは、Dんなにはエグゼグティブ・コーチングのビジョンが見えている。だけど、参加してる人たちには見えてない。変数(ステイク・ホルダー)が多過ぎて、何を求められているのか?途方にくれてしまう。この差がどうしたらいいか?の行動の差をうんでいる。


企業内コーチの次とは、実践の中から自然に湧き起こるプロセスじゃないだろうか?しかし、5年経った今でも、導入レベルで、まだ評価軸からの検証にない。あっても数値化が難しいから、報告自体が少ない。その報告がないと、どう判断していいか?わからない。主観である、やる気とか、ポジティブな風土は測ることが困難だ。
漏れ聞くアメリカの様子だと、その辺りのレポートが科学論文として出ていて、こうしてフォーラムに出ると、大きな流れを知ることが出来る。すると、次は…と発想出来る。


CTPerとCTIerのデモ・コーチングを見た。初めてコーチングに触れた方は「う〜ん。ここまで、聞いて聞いて聞きまくらないといけないんですねぇ〜。小憎らしい部下の話なんて、ここまで聞けないなぁ〜」と、CTPerとCTIerの違いなんてサッパリわからなかったとおっしゃっていた。
Ryoji☆にはお互いのコーチングの特徴がよく出ていたと感じた。
CTPはわかりやすい。知で把握でき、時間も短時間で済む。コーチング・フローに従えば従う程、認知行動療法に近い。ROIを考えるなら、数値化しやすい。コーチを何人投入すれば、きっとこうなるってわかる。

CTIは情動に働きかける。POPで言うドリームランドの力をフル活用する。在り得たかも知れない私に出会う。クライアントさん本人の個人成長をよりサポートしてくれる。反面、ROIは不明。組織目標とクライアントさんの個人目標が一致するか不明。


ビジョンという視点で言うと、CTPは認知なのでビジョンを生み出しにくい。あくまでも知的に論理でMECEする。CTIは訳がわからない。想いばかりが溢れる。遠過ぎる理想の前に、どう行動していったらいいか?途方に暮れる。


Kみりんがおっしゃっていたように、日本社会にコーチングを広めたいなら、コーチングのよさを語るのではなく、コーチングを通じてどんなビジョンが手に入るのか?を、もっともっと語らないと始まらないんじゃないだろうか?


戦後日本を語る時、高度経済成長期は、個人・家族・会社・国の目的が時代の流れとして自然に一致していると感じられた時代だった。
今は、そういう時代じゃないのはハッキリしてる。だからこそ私たちは、ビジョンを語り合う必要があるんじゃないだろうか?それが人生で最も長い時間を過ごす職場で、何故コーチングなのか?何故企業内コーチなのか?これから先の物語になるんじゃないだろうか?

コーチング知らない人へコーチングを通じて得られるビジョンを!