事そのもの=Co-Active_Coaching=Bigger_Game?

竹田青嗣さんと西研さんに新刊本にサインをもらってニヤニヤした。直後に会ったコーチ仲間から「何かいいことあった☆」と言われたぐらいだった。お二人の著作は大好きで、何度も読み返している。

で、ヘーゲルは新しい人の関わり合いのありようを徹底して考え抜いて、近代を開いたのだけど、その高次化した人の意識の最終理念型として、「事そのもの」って発想していたのではないか?というお二人のモチーフを聞いて、それって対話(ダイアローグ)だし、ワールドワークだと思った。

人々が自由に囲む円卓で、様々な表現が机の上に乗り、お互い批評しあう。輪に加わらず見てるだけの人もいる。そこでは、その行為を通じてお互いの共通了解として、どうやらこれが真善美らしい(ブラトンならイデア)という信ぴょう性が立ち上がる。それが事そのものが伝えるモチーフ。何が答えかわからないけど、でもあるよね。それにめがけて努力するっ意味あるよね。自由があり同じゲームに参加しているという信頼関係が立ち上がる。

信念が違っても、お互いの自由をできる限り尊重しつつ、どんな縁を結べるのか?その共通了解が成り立つか?一つの方法として、Co-Active_Coachingは機能する(限界もあるけど)とすると、スッキリする。そう「事そのもの」を達成するためにはやり方があるんだ。ルールとかスキルとかね。


いらしていた人たちには、眉間に皺って感じで、真面目に真剣に考えるムードがあった。西さんと二人ライトな明るさを漂わせて、場から外れた感じだった。これもDんなやFゆFゆに、真剣に悩むのと、どんな態度でいるか?は別と、いろんな場面で教えてもらったおかげ。今なら明るく悩めそう。

完全解読 ヘーゲル『精神現象学』 (講談社選書メチエ)

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