[Coaching]コーチの責任とは?

コーチの責任って何だろう?

知り合いのコーチが夏にそう題したワークショップを開くと聞いて、グルグル問いが回っている。

思い付くまま吐き出してみる。

一つは、意図的協働関係を最初に取り結ぶことだろう。
この関係性が何を持つために行うものなのか?相互に同意を取る。

一緒になって創っていくとは言え、コーチの責任と言ってよいだろう。
ここが通常の人間関係と違っている点。

カウンセリングだと、クライアントさんが先行して困っている状態があり、暗黙の相互了解として、社会的な健全に行動できるようになるには?という目的が結ばれていると考えられている。

二つ目は、セッション中、クライアントさんが自身の体験にマインドフルネス出来るように場の安心安全に全力を尽くすということだろう。

人は通常自分自身の体験の没入できない。
場の安心安全を保証してくれる人がそばにいる時初めて、自身の体験の微細さを味わい切ることができる。

三つ目は、客観的なフィードバックだ。クライアントさんは今ここでどうあるか?コーチは伝えなくてはいけない。
それはある種、辛い真実をクライアントさんに突きつける可能性がある。
でも、この真摯なフィードバックを提供されることで、クライアントは自己の在りように、内的状態と、外的観察の両方から、迫ることができ、やっとありのままの自分とは何か?に迫る学習のループを手に入れることができる。

訓練されていない人によるフィードバックは、客観というよりもどうしても解釈を織り込んでしまうので、フィードバックの質が落ちる。

NVCの1番目は「観察」なのだが、これが半端なく難しい。ちょっと試すとわかるのだが、どうしても解釈が入り込んでしまう。
コーチは、解釈抜きの外的観察をクライアントさんに提供する責任がある。

四つ目は、選択はクライアントさんにある という姿勢だろう。

これはある種、とても冷たい態度だ。
でも、最も相手を尊重する態度だ。

嫌なセッションは、コーチがストーリーを背負って関わろうとしている時。
クライアントさんをそのストーリーにのせようとしているのが透ける。

コーチは選択に対して、問うことはしなければならないけれど、「どうするか?」の決断は、クライアントさん次第なんだって姿勢を貫くことが必要だ。

仮に前に進んでほしいとコーチが願っていたとしても、進むか退くか?止まるか?どういう選択をしようが、クライアントさんは自由だ。

近親者に対するコーチングが難しい理由もここにある。
何しろその選択の影響を受けると知っているからこそ、介入したくなるのは当然なのだ。


五つ目は、クライアントさんにあるNCRWを観るという姿勢だろう。
ここはいわゆるセンスとも呼ばれる領域。今ここにはないものの、クライアントさんに潜在的に眠っているNCRWとコーチは対話する姿勢。スポンサーシップと言ってもいいかも。
コーチ自身がクライアントさんに先行して、その状態にある者として関わるからこそクライアントさんのNCRWが活性化する。

ここができないコーチは援助者としてクライアントさんをエンパワーしていると言えないだろう。