譲れない何か

映画「フラガール」を見た。

時は流れる♪

時代はいつの間にか、「正しい」「幸せ」の基準を変え、置き去りにされた私は新しい時代を生きようともがく子どもたちを理解できず、でも慈しく思うことは止められず、ただその夢を見守り応援する。親と子。お互い相手を想っているからこそ容赦無い。で、何でこんなことになったか?ぶつかり合いながら理解しようとする。

その親しい人に寄せる譲れない何かの時、必死だ。それは美しくもある。自分のプライドを投げ出し、やりとげたいことへ助けを乞う。激しい言い争いはお互い「どうしてわからない!」と傷付け合うだけ。

心が動いたのは踊りを見たから。生きる喜びを、真剣に自分の生命を生き切る力強さ。言葉にできないのだが、分かる。後ろ姿が私に囁く。「[自分らしく]あれ!」難しいことはわかんねぇけど、気持ちは分かった。それは理屈では全然納得できないけど、応援したいって思わせる。

どうしても譲れない何か。それが踏ん張る足場。そこに腹くくったら、やるしかない。それが私を生きるってことだから。うんうん、私じゃないかな。何か私を超えているのかもね。