自分の人生に責任を持つ

「誰一人間違っている人はいない」
ワークショップで初めてコーチングを学んだ時、最初に言われたこと。
「嘘だ!!」と頭の中で答えていた。

「ま、取り敢えずこんな場にのこのこ大金を支払って来てしまったし、じゃ、この場ではそういう仮のルールってことでやってみますか?」って、猜疑心100%だった。

しばらくして、コーチとしてクライアントに接していると、どうしても他人を信じ切れない自分がいることにいやというほど気づかされた。「あの、もう少し考えた方が…」「えっ、そんなに簡単に即決していいんですか?」「この話の流れはヤバイ。この人本気でやろうとしている…」など。

冷たい話だが、相手の人生は相手のもの。Jijiがどうのこうのできるわけがない。せいぜいお手伝いができるぐらい。だから、相手に「あなたはどうしたいんですか?」って聞いてみて「〜なんです。」って答えてもらわないと、わからない。勝手に想像して、Jijiがあなたの人生を作るわけにもいかないし。あなたの気持ちもわからない。「へぇ。あなたってそんなこと感じていたんだあ」

言い訳なら散々した。状況から言っていかに自分の選択が正しいか?言いつのった。でもコーチは途中で遮って「で、あなたは何をしたいの?」。「………。」そ、自分の人生に責任を持つのは、Jijiなんだもの。失敗してでも、何をしたかったのか?失敗したら、じゃ次はどうしたらよかったのか?JijiがJijiの意志を見失わない限り、そこに失敗はない。

できたか?できなかったか?できなかったら、次はどうするか?

Jijiは自分が正しかったかを証明したいんじゃない。できなかったことの無念さをくやしさを言いたかっただけ。それでまたできないモードに戻っていくJijiになるだけ。

自分の人生に責任を持つのは、ある面自分の嫌な面と向き合うこと。だって、できないことは繰り返し繰り返しやってくる。そしたら、嫌でもどうしてできないか?どうすればできるか?を毎回毎回考えなくちゃいけない。それって辛い。そして、自分が変わらないと世界は変わらないことを知る。でも、自分を変えるのは辛いから、世界を変えようとする。で、足掻く。ジタバタする。で、自分の枠に気がつく。ああ、この枠から世界を眺めているから、毎回毎回同じ失敗を繰り返すんだあ。だから毎回毎回痛い思いするんだあ。
でも、コーチの仲間は「誰一人間違っている人はいない」と暖かく見守ってくれる。あがく自分を受け止めてくれる。その想いが嬉しくて、その行為に感動して、「できるかも」っておそるおそる一歩を踏み出してみる。

「できた」

自分の人生を自分でコントロールできた時の喜びは何者にも代え難い。私は今ここで生きている。やればできる。やりたいことはかなう。私は自由。なりたい者になれる。そして同時に気がつく。ここに至る道程で、いかに多くの人たちが自分に限りないものを注いでくれていたか?その助けがなければ、ここに自分はいなかったと。次はあなたの番。たまたま私が先に生まれ、目覚め、気がついただけ。その返しきれない愛を次のあなたに私は与える。だって、この世は生きるにたるすばらしい世界なのだから。

<事実>相手のことは相手に聞くしか、わかるすべがない。
<発見>誰一人間違っている人はない。
<教訓>自分の人生はあなたしか責任を持つ人はいない。
<宣言>Jijiは自分の人生に責任を持って生きる人です。

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