Jiji自らの光を恐れる

「Jijiのフルフィルって、谷に降りるプロセスやってる時だよね」とAっちゃんが指摘してくれた。う〜ん、確かに。他者の負の気持ちを聞くと、共感が全開になり、Jijiは消えて、「そうだね。そうだね。」と忘我になる。ある種フルフィルだ。

で、Kまっちさんに、「JijiはJijiの中のどんな光を恐れているの?」と尋ねられてハッとした。Jijiはこの共感力を山に登る時に使うことを恐れている。

クライアントさんから「あのねーJiji。私はそこまで感激してないよ」と何度か言われたことがある。相手をちゃん見ていないでJiji独りのファンタジーワルードへ突入してしまう。谷に降りる時はあれほどクライアントさんとCo-Activeであろうとしたのに、山に登るはいつも暴走する。

きっとそれはJijiがJijiにフルフィルを許さないからだ。内側からの価値観ベースで動くことが少ないからだ。常に外の指標を考えて「目標」を考えてきた。だから、ちゃんとJijiがJijiの気持ちをモニターできない。それはJijiがJijiに課した呪い。なぜなら、これはあまりにも危険だから。0620原書を読む会でFulfillmentの章を読んでいてわかった。

つまり、自分の心の声しか聞かないってこと。真実にしがみつくってこと。たとえ、世間の常識がどう告げようが、私は私の価値観で生ききる。

これはとってもラジカルでパワフル。

ふゆふゆが勧めてくれた「ハラスメントは連鎖する」光文社新書2007.4によれば、これはインドのガンジーが唱えた非暴力主義の考えの基にあるらしい。

こういう人がそばにいると、色々思わされる。私、ちゃんと自分の人生を生きているんだろうか?安易に妥協して生きていないだろうか?

しかし、これをコーチとして相手に使おうとするのは諸刃の剣。JijiがJijiに耐えられない。それをクライアントさんに問う、Jijiあなたはちゃんとそのように生きているの?そこで、Jijiはそこで恐怖におののいてしまう。世間に妥協して生きた方が楽だ。あえてそこにエッジを立てて生きるのは、辛いに違いない。それを他人にも強いていいのだろうか?

それを聞いたAっちゃんは「Jiji。改名しな!」と言い、Mっしーは「『黒猫』じゃなくて『白猫のJiji』かもね」と表現してくれた。そう。それはそういうことなんだよね。

確かにJijiにはそういった力があると、Jiji自身にYesと言うのを許すこと。不安定で、必ずしもいつもいつもその力が発揮できなくても、そんなJijiにもYesということ。時にそれが相手を傷つけることがあっても、Tryすることを諦めないこと。

去年の9月。Dちゃんと出会って、Jijiのこれを発動させて関わった。それがきっかけかどうかはわからないけど、今、DちゃんはDちゃんの使命に目覚めようと、試行錯誤している。

そこまで理解してどうするか?

もうきっと答えは出ているけど、悩むのが好きなJijiだから、悩みます。