コンスタレーション

初めてNべゆきさんから、コンスタレーションについて聞かされた衝撃は大きかった。まるで過去についての説明を聞かず、関係者を配置。で、配置されたメンバーにそこにいると、どう感じるか?順番に聞く。状況を提出した本人は、そのコメントを聞いてるだけ。


今回も配置されたメンバーがそこで感じることを言う度に、提出者が「そうそう。なんでわかるの?!」とビックリしていた。


これは、一体何が機能するのか?について強烈なアンチテーゼの気がする。つまり因果法則を無視してる。何かがそうなったのは過去に何かがあったから。であれば、過去とワークすればよい。ここまでは今まで学んだ様々な心理療法にとって常識だった。(ソリューション・フォーカス・アプローチは、結果に焦点を当てる。その結果、因果について追求しないというスタンスになっている。従って、因果法則については不問という立場。)ところがコンスタレーションは、起きている場を可視させるだけ。
一体クライアントさんに最も機能するのは、どこにフォーカスを当てている時何だろう?

これを書きながら、コンテンツとプロセスのうち、通常コンテンツに捕らわれて息詰まるのに対して、プロセス=関係性からの視点を加味することで、意見の対立ではなく、あるがままを観照する。それが大きな気付きをもたらすようだ。
もしそうだとすると、形式上は瞑想してるのと同じことになる。

にしても、何故配置された人が語ることが、人も背景も違うのに同じリアリティを感じさせるのだろうか?
これが効果的だとすると、人の個性は背景に退き、人と人との関係性が、立ち現れる他者なのだと断言してもよいぐらいになってしまう。ロールプレイを意図的にやることがある。逆に、日々の生活で私達はそんなロールプレイの連続を渡っているだけであって、実際は本来の自分を見つめたり生きたりしていないんじゃないだろうか?
もしそうだとすると、ミンデルさんが書いてるように、明晰夢の中で夢遊病してるのが人なのかも知れない。

ファミリー・コンステレーション創始者バート・ヘリンガーの脱サイコセラピー論

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24時間の明晰夢―夢見と覚醒の心理学

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