「ギフト」に生きる

HYさんのご紹介でIさんの「『ギフトに生きる』生き方」を伺った。なんでもIさんの教え通り、コーチングをギフトで提供しだしたら、3か月後、クライアントさんが8倍に増えたとのこと。ちょうど「クライアントさんを増やす」ということで悩んでたので、よきタイミングだった。

聞いているうちに、荒唐無稽じゃなくて、実に理に叶っているとわかった。(実は「副業/兼業コーチングサミット」に参加された皆さんに、この会を紹介した。直感として、これは従来聞いて来た「理に沿ったマーケティングによる集客とは何か?違う」と感じたから。するとサミットに参加されたお二人も参加して下さった。これもギフトに沿った振る舞いと解釈できる。)
(以下に述べるのは、Ryoji☆が受け取った内容で、Iさんの主張とは異なるかも知れない。)

ギフトに生きる上で、一番大事なのは、「無理しない」。そして、「自分を満たす」こと。この2つは必須。もしこの辺りの感覚があやふやなら、セルフケアに専念した方がよい。

聞いていて「そうか!」と発見した。「無理しない」と自己重要度が低い。ギフトとして差し出す内容を「受け取る」「受け取らない」を相手に委ねられる。それでいてギフトがどうなったか?心理的こだわりがなく、スッキリしていられる。総じて軽い。清々しい。

リフレフティング・チームが機能するのは無責任な第三者の意見が、メタ認知として語られ、クライアントが自由に選べるからだ。自己決定権はクライアントにある。自律なのだ。反対にCoActiveCoachingのよさでもありわるさでもある、コーチとクライアントの意図的協働関係。コーチはついつい善意で、「こうした方がよいんじゃない?」ってクライアントに提案してしまう。善意であるが故に、クライアントはコーチとの関係を壊したくなくて、ついつい同意してしまう。建前としては、クライアントは拒否できる。しかし実際コーチとクライアント二人の密閉空間で、悪感情を持たれないように拒否するのは勇気がいる。よい面というのは、これだけ聴いてくれるコーチが言うのだから、納得出来ないけど、そこをワークしようか?と一歩踏み出す可能性が高まるから。(カウンセリングでコンフロンテーションって技法はこれを意図していると思われる。Ryoji☆としては、自律を推したい。それもコーチとしての選択肢と知ってはいても、Ryoji☆はやらないだろうなって思う。ややこしいのは、その可能性を知ることで、関係性絶対視点から関係性が危機に陥ったとしてもなお伝えたい境地があるって深い学びだということ。)

で、自分が満たされていると意識セットがよい。だからギフトになる。
意識セットが悪いと、伝えられた側はダブルバインドになる。言ってることと在りようが違う。だから、クライアントは自律よりも関係性をおもんばかって判断してしまう。コーチにとって厄介なのは、ここは厳しく自己管理しないといけない。意識セットは自己管理の一環として大事。(これもややこしい。これを意識し出すと出来ない自分に直面する。大事なのは「無理しない」。喜怒哀楽のまま。自然体でいればいい。)

こうした2つの前提条件の上で、ギフトに生きるには2つの方向がある。一つは「ギフト」と聞くと思い浮かべるように、私から相手にギフトすること。もう一つは相手から贈られたギフトを気持ちよく受け取ること。

前者で私たちが縛られてしまうのは返報性。私がギフトした相手から私にギフトを返して下さいと考えてしまう。「ギフトに生きる」はそうは考えない。
例えば、HYさんが開いたイベントで急に気持ちが悪くなった方がおり、車でその方をご自宅までお送りした。その月はたまたま持ち合わせが少なく、手元のお金がなく厳しかった。それを聞いたIさんが「私がその交通費。ギフトしましょうか?」と申し出た。 HYさんはお断りしたそうだ。

ここで申し出を受けていたら、「ギフトに生きる」が回った。つまり、ギフトした相手から返ってくるのではなく、別の誰かからギフトが巡ってくると信じること。

今回話ながら、私たちは後者が下手だと頷いた。謙遜したり、謙虚であることは美徳だ。だからギフトに対して、「受け取らない」というのもわかる。だけど、心から感謝している時に差し出したギフトを受け取って貰えたら、ギフトを送ったコチラも嬉しくないだろうか?私たちはもっと上手にギフトを受け取り、その恵みに感謝を巡らしたらどうだろう。

聞いていて見えて来たのは、エネルギーの循環。感謝の想いが巡ってる。
これって自然の恵みを戴く時の態度と一緒だ。豊かさに感謝し、取り尽くすのではなく、一部を感謝して戴く。大部分を残すのは礼なのだ。
こういう気持ちは連鎖を呼ぶ。自然とクライアントさんを紹介したくなるのも通りだ。ギフトを贈られたら返したくなるのが、人の性なんだから。

Iさんは場からの質問に丁寧に答えて下さった。
その姿勢も「私が持ってる知識で役立つものはみんなギフトします!」って精神に溢れていた。(だから思わず、「それってすごい知識らしい」と関心が湧いた。)
面白かったのは、「飽きっぽいんです」って、明言されていたこと。だから、物事を継続するようなことでは役立ちませんとハッキリおっしゃっていた。
これも理に叶ってる。人には強みがあって、強みを活かしていると輝く。でも苦手なことをやらせても生産性は低いし、本人も辛い。だから、どこが自分を使って貰うのに適しているか?自覚して、キャリアを歩むのは大切だ。

Iさんのお金の捉え方の変遷も興味深かった。今でこそ定期的なお金を貰える口があり、かつ、定期的にお金を出してる所もある。
でも若かりし時、「仕事の意味が大事で、お金なんて大切じゃない。卑しい」と思っていたら、物の見事にお金が入ってこず、転職せざろう得なかった。

江戸時代三井越後屋三井高利が始めた、「どんなお客さまにも、同じくお安い値段で提供します」のやり方に私たちはすっかり慣れきってしまったけど、アラビアのバザールの価格の付け方は違う。売り手と買い手がせりで希望価格に近づける。で、双方満足を得る。一物多価。ただし、商品知識がないとぼったくられる。駆け引きのエネルギー。

「副業/兼業コーチングサミット」で、副業としてコーチングフィーを貰う際、「お金貰ってよいんだろうか?」って声が出ていた。

お金をどう扱うか?は難しい。

かく言うRyoji☆も、クライアントさんから「コーチングフィーが安すぎます」って言われたくらい。

でも「ギフト」なんだ。感謝のエネルギーを循環させてるんだと思えば、軽くなる。逆にギフトの受け取り上手を目指したい。