[CleanLanguage]クリーン・ランゲージから考えるストレングス・ファインダー

クリーンランゲージを学んだことで、人が才能をどう受け止め使っているか?理解が深まった。

ストレングスファインダーは行動を尋ねることで、行動からどんな才能があるか?を統計処理で明らかにする。

この人より上手く出来る才能というのは、本人は得意だから意識せずやっているので自覚しにくい。逆になぜ周りと人は自分と同じように出来ないのか?が理解出来ない。かつ、本人の認知と実際の行動が異なっていることも多く、アンケートに答えて貰う形でやってもなかなか才能が浮き彫りにならない。

そういう意味で、ストレングスファインダーは極めて優れた道具だ。ここを手掛かりに深堀していくのが望ましい。

ところが、このストレングスファインダーには大きく2つの注意しなけれはならないことが、クリーンランゲージを学ぶことから明確になった。一つは、才能を本人がどう受け止めているか?を確認すること。もう一つは、テストを受けた時点の、本人の自己一致の度合いはどうか?確認すること。

第一に、才能を本人がどう受け止めているか?で才能は強みでもあるし弱みでにもなる。

実は普段からやっている行動は、得意で無自覚にやっている行動と、嫌な状況に陥るのを防ぐために必死でやっている行動の二種類ある。前者は指摘すると本人も「それが才能なんだ」と納得する。しかし、後者は指摘すると本人の怒りを呼ぶ。それは回避行動で、好きでやってるんじゃない。むしろ呪いなんだと。

少し考えればわかるが、才能が強みになるか?弱みになるか?は紙一重。あとは本人がそれをどうしたいか?にかかっている。嫌悪して弱みとすることも出来るし、強みとしてそれか活きる状況を生み出したり、それが起きやすい環境を選んだりすることか出来る。

ここを考えるとよいのは、ないものねだりが無くなることだ。ついつい自分にはない他人の才能がうらやましくなる。妬みの感情は厄介で、一度取り付かれるとなかなか消滅させることか難しい。しかし、自分の才能がハッキリするとは、苦手なこともハッキリするってことだ。つまり、いくら羨んでも、その才能が自分にとって苦手なのは変わらない。羨む暇があったら、自分は自分が出来ること。相手が相手に出来ることをそれぞれが専念して、協力しあった方が早い。悩むべきポイントは、ないものねだりではなくて、どうお互いの強みを組み合わせられるか?だ。

クリーンランゲージを使って、どの才能が好きな才能で、どの才能か嫌いな才能か?明確にすることも大事だ。その後はコーチングで「どうしたいか?(何が起きればいいか?)」を援助してもらったり、セルフモデリングを自分で進めてもよい。

大事なのは、自分の才能をあるがままに、クリーンに受け止めること。


二番目は、ストレングスファインダーを受けた時の自己一致具合はどうか?だ。
ストレングスファインダーの構想では、このテストは何度受けてもそう順位に変動がない筈。ところが周りのコーチで何年か経って受け直したら、「かなり変わった!」というコーチが多い。例が少ないので、Ryoji☆の推測なのだが、それはBeingの変化によるのではないか?と思っている。

それまでの人生、世間がこうした方がいい、こうすべきたという人生を送ってきて、それに必死に自分を合わせようと努力してきた。そこで、磨かれた後天的な「才能」(怖れに基づく行動)がある。

ところ、こうしたコーチングやセラピーなどを受けて、一枚一枚薄皮を剥ぐように、ありのままの自分が出てくると、どの状態が無理のない状態か?やっと内的に感知できるようになる。すると、やらなくていい行動が減り、無理なく出来る好きな行動が増える。おそらく内的なメンタルモデル自体に大きな変動はない。本人がそのメンタルモデルに自信を持って行動し、健全性が増すので、より本質的な才能が浮き上がるのだろう。

ここはぜひクリーンランゲージで探ってほしいと思うのだが、自身のシンボリック・モデルを才能を発展させ、より他者とコラボレーションが起きやすくなる。