コーチングにおける学習とは何か?

> 「学習」は自らの好奇心により能動的に知識を得ること。「教育」は構造化されたルールに従い学生を理解させることであり本質的に違うもの(引用終わり)
とある本のアマゾンの書評の言葉に胸を突かれた。そうか。
コーチングを通じて学ぶ喜びを再発見した。どうしてそんなに好奇心を持ってドンドン学びを深めることが出来るのか?大学で会った輝いている友達が不思議だった。Ryoji☆にとって教育は苦痛の塊。意味が分からない。教育に対して興味が湧かないのは、学ぶ喜びを体感出来なかったからだろう。
小さかった頃、母に「あなたは見たがり屋の知りたがり屋さんだからねぇ」と、ため息をつかれた。Ryoji☆自身はどうしてそう言われるのか?サッパリわからなかった。
最近Mグマさんに「Ryoji☆は学びの横綱だから。」と言及されて戸惑ってるRyoji☆がいる。
それくらいRyoji☆には学ぶことは掛け替えのない、心の栄養らしい。

コーチングにおける学びはまさにオーダーメイド。コーチはクライアントさんの学びをそそのかす。コーチングを通じて、あらゆる時、あらゆる状況から学びを創り出す力を得る。バットの素振りをする野球選手のようなものだ。
自ら生きる主体性を取り戻すのは、即ちどんな状況からも学びを創り出すことに等しい。

Dんなが外への夢。内なる探求と示唆してくれたように、実際の事象は内と外の境界がない所にあるから、外と内の行き来が大切なのだ

問題はしっかりと事象を観れないこと。
間をとって、そこで何が起きているか?を味わい、しっかりと内なる感情を自覚すること。

そこに何が立ち現れようとしているのか?向かい入れる態度。それこそが学ぶってことかも。


状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加

状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加

黒猫のJiji改めRyoji☆