「分からない」は「分かってる」その2

Dんな主催のダンマパダ読書会後の歓談会に参加した。TかTか☆に「『分からない』は『分かってる』に最近思うようになった。」と言ったら、「『Dんなのことを分からない』って言い切るってことは、何がわからないか?分かるってことですね。」とあっさり指摘され、Dんな研究家のLブリーからは「賢者は自分を愚者と知っているだね」とまとめられた。

クライアントさんの話を聞きながら思ったことを口にしただけで、それをRyoji自身に適応されるとは思いもしなかった。TかTか☆の凄いのは、言葉それ自体の意味に引きずられず、別次元で気持ちを天然で聞き取って言語化すること。無意識レベルで自然にやっているので、言語に執着して論理展開で物を考える身からすると虚を突かれる。

知りたがり屋の身としては、嬉しい。そうそう、なんもかんも分からない。分からないと言うことが分かるのも、場に留まってありようを愛でてるからこそ。まずまんまんを受け入れる。変わってる。〜だ。それまでの分かっていた世界を停止させ、味わう。あえて感覚を確かめ直し微細な差異を識別する。この何気なくあるこれは、何でこうあるんだろう?すると理が見えてくる。微細から視野を広げ、今一度場を感じ直す。ボヤーとさっきとは違う何かがそこに現れる。ちゃんと声は聞こえる。空気を感じられる。そう、分かっているんだ。気付いていないだけで。