形式と実質

昔から名目は意味がないから嫌い。形式に拘るのも嫌悪する。面子に拘るのも馬鹿馬鹿しい。実質。もしくは真理が知りたい。まやかしはいらない。ただ誠実さが欲しい。たとえ、それが残酷な真理であったとしても、正直さが欲しい。


だから、ファッションには興味がない。それはまるで、無い中身を虚飾している感じがする。微細な違いには興味がない。そんな小さな差異に拘泥するより、もって大胆な本質の差異を愛でたい。

Ryoji☆にとって、大人になるとは、形式をはこびらすことだ。己の心情を無視して、必要な役割を演じる。裏の意図は常に別にあり、口先だけ、その場だけ合わせている。Ryoji☆はそんな形式で付き合われて、全然嬉しくない。逆に嫌悪する。それが仕事だからと素直に割り切れない。

今、会社で役付きのようなスタンスになり、そういう大人の真似事をするRyoji☆がとても嫌いだ。個人としての想いと、立場から要請されるスタンス。角がたつと知りながら、「あんたとは、別に付き合いたい訳じゃないから」と、冷酷無比に対応しそうな、冷え冷えした怜悧さが噴出しそうだ。

「ハンコが実印じゃありませんね〜」

こういう形式に拘ることを言われると、瞬間湯沸かし器になってしまう。何故そんなつまらないことに拘るのか?ハンコなんて形式の最たるもの。意味がわからない。というか、Ryoji☆は拒絶する。何故そうでなければならないか?ことわりを示して欲しい。
虚飾を剥ぎ取った先にある真実。そこにしか興味がない。