不協和音

ラジオでアナウンサーが「最近子供が親を殺しに掛かる事件が報道されますね?」と有識者に投げかけたところ「実は昔に比べて子供たちはおとなしくなっているんですよ」と統計をあげて説明していた。印象と実際に起きている数字は違う。だから会社では数字を出して議論しようとする。精神論だけじゃ駄目で、物流的な論理も大切だ。

つまり現代の日本はリアルな不協和音を縮減させている社会なんだ。場に不協和音が起きるとそれを覆い隠そうとする。だから、暴発する時が目立つように感じるようになってしまった。そういった潮流の中に私たちは浸かっている。

バランスを保つのも大事だけど、なぜそこに疑義を感じるんだろう?何を大切にしようとしているから、あえて不快と表明しているか?不協和音を味わいながら破線の元を想像する、忍耐強さが大切だ。そこを汲まないと、あえてそれを選んでいる立場にいる相手に言葉が届かない。

和を保とうとする圧力が注ぐ中、場の空気に逆らうのはリスクなんだ。今のその嫌な感じとダンスするだけじゃなくて、その奥にある不協和音の意図をも包み込んでダンスすること。それが真の奉仕なのかも知れない。その先にこそ、本当に今の相手を受け入れて共にいるって感じを創り出していくことができるのだろう。だとしたら、そうした兆しは逆に祝福なのかも知れない。