「GROW」アプローチを超えて

飲み会の席で「GROW」アプローチを捨てたというお話を伺った。

「GROW」アプローチとはコーチングをするときのやり方の一つ。

GOAL=このセッションや、クライアントさんがたどり着きたい目標を明確化する。

R=Reality or Resource
現在の状況をチェック。そして何を今すでに持っているのか?確認する。

Options=どんな選択肢があるか?どんなやりかたがあるか?検討する。

W=WHAT or WHEN、WHO、WILL

何をいつ誰がするのか?そしてそれを実行する意志、決意の確認。

−−−ジョン・ウィットモア「はじめのコーチング」ソフトバンク・パブリッシング2003.8


NHさんがおっしゃるには、GOAL=目標が最近どうもノルマに思えてならない。いつのまにやら目標が「〜べき」で語られてしまう。なんだかひどくかたぐるしい。それじゃダメって気がついたとしても「そんな〜べきって考え方は捨てるべきなのよ」っていうぐらい、この「〜べき」論の世界にはまっている人は抜け出せない。考えを手放すことができない。

青木安輝さんがソリューション・フォーカス・アプローチで提唱しているのを伺うと、目標ではなく、むしろその人がそうなったらいいなあって感じる事は何?ってことに焦点を合わせた方がよくないだろうか?とNHさんはおっしゃっていた。ノーベル賞をとられた島津製作所の田中さんは、昇進より研究が好きだった。青色ダイオードを開発した中村さんも何より研究が好きだった。人によってなにがいいなあって感じることはほんと千差万別。でも、そこに焦点が合わさった時、自然といろいろな自由な発想が湧いてくるように最近思う。今年はこれをテーマにコーチングをして行きたい。

それを聞いていたMMさんが、それって、ノルマの世界で成果を出してきた人だから言える言葉だよね。一度はそういったプロセスを通過しないと、そうは思えないよね。っておっしゃっていた。


話を伺いながら、うーんって思っていた。

まずいいなあって感じることってワクワク感とはどう違うのだろう?って思った。それに、それがほんとうにそうその人が感じているのか?は一度確認しないとなあって感じた。

今のJijiがどういうことかなって思っているのは、どんな時にJijiはイキイキしているのかなってこと。個別な事象でこれっていうのはあるんだけど、そこに通底音のように流れるJijiがほんとうに大切にしたいことはなんだろうって思う。それが見えると、他の人からはJijiってほんと変なことに興味を持つよねってことになるだろうけど、Jiji自身の中では一貫した繋がりがあるってことになるだろうなあって。(うーん、これってなんで、共通したものが「ある」と仮定しているのだろう?別に一貫していなくてもいいんじゃん)

次に、そうはいっても、そのわくわくと目標は別なのかなあって気がした。今まで「目標」って言うことで目指していたのは、わくわくであり、同じ「目標」って言葉でそこへ向けた具体的な道標も同時に指していたのかなあ。だとすると、アプローチが悪かったのではなく、アプローチの目指すところがより明確化されたのかなあって。だからむしろ、GOALへ向かうその人の動機が、ぜひ喜んでやります!ってものなのか?それは〜べきだからやるってものなのか?、佐藤瑞嘉さんの説明を借りると、Loveベースなのか?Fearベースなのか?ってことかなあ。どっちでも効果は得られるんだけど、Fearはそこにたどり着いたら、「やっと着いた。ホッ」って終わる感じがする。Loveだと、そこにたどり着いた途端、「ああ、ここからみたら次はあっちに行きたいなあ」っていうのが見えてくる気がする。


そして何より感心したのは2番目のMMさんの視点。ふゆふゆにも感じるんだけど、人を見ているんだよね。Jijiは話しているコンテンツを見ている。言葉を額面通りに受け止めてしまう。だから、ちゃんと言葉と自分の気持ちを一致して話してくれる人の話であれば、ちゃんと聞けるんだけど、ほんとうの自分の気持ちは押し隠して、言葉のロジックだけで押してくる人は、ノーサンキュウ。拒否しちゃう。聞いても聞いてもさっぱりわからない。
 そして、ふゆふゆやMMさんの視点はとても温かい。今この発言をこの人が言うってことはもしかしてこんな気持ちがあるからじゃないか?これは意外と言っている本人も気がついていないことがあって、ハッとする。あ、自分のほんとうの想いはここにあったのか?と。
 きっとこの視点に立つには、「観察王」であることが必須だろうなあ。言葉だけじゃなくて、しぐさや言葉の調子、直観。その相手から感じ取れるすべてを使って、人をみる。その人に埋もれている可能を開く。
 とても簡単にやってくれる人が周りにいるのだけど、こうした場面に出くわすたび、同じ場面にいて、同じように聞いていたはずなのに、Jijiはいったい何を聞いていたのだろうって思う。きっとほんの小さな差なんだと思いたい(Jijiはそう言い聞かせたい。負けず嫌いなので。)でも、すごく大きな差のように今は感じてしまう。
 しかし、これを聞いた人はほんと気づく。ああ!わかってくれた人がいた。そうだったんだあって。

「なんでわかってくれないの!」と思ったときに読む本
トーマ・ダンサンブール〔著〕 / 高野 優監訳 / 野沢 真理子訳
紀伊国屋書店 (2004.9)
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