[CleanLanguage]「とくちゃんは考えすぎ」の意味

知り合いのコーチに「とくちゃんは考えすぎ!」(笑)と言われることがあり、戸惑ってきた。その方は比較的ハッキリ言ってくれるので分かりやすい。(注:こうして端的に伝えてくれると響くので、受け取りやすい。)その方だけでなく、他の方からもやんわりと同じ趣旨のことを言われることが多く、それって一体何を言われているのか?がRyoji☆の中でよくわからなくて困って来た。

というのも、ストレングスファインダーで上がった才能に「内省」があり、ああだこうだ、ブツブツ考えるのは決して悪いことではないと思えて、なんでそれがそう指摘されるほど、過剰と言われるのか?それともRyoji☆が気がつかない何か別のことを言われているのか?判断が付かなかった。

先日クリーンランゲージの個人セッションを受けた。「クリーンランゲージを学ぶことで何があなたに起きればよいですか?」という問いかけから、Ryoji☆のシンボリックモデルを展開したところ、やっとそういう言われているであろうことの正体が明確になって、腑に落ちた。そうか!それを言ってくれていたのか!

エニアグラムのタイプ6と考えると、受け取りやすさが加速する。
Ryoji☆の世界への関わり方の根底に、世界への恐怖がある。だから、Ryoji☆の全エネルギーを使って、この世界がRyoji☆に害を与える可能性とその回避方法を必死で集めようとしている。そして、大きな地図を書いて、危険レベルの印を付けている。いったん地図に書き込まれると、地図の方が優先され、現実を受け取ることよりも、Ryoji☆が描いた地図の正確さに固執する。全力で世界を決めつける。だから、世界とはRyoji☆が情報収集し、組み立てたようにあるべきなのだ。最悪のリスク警戒モデル通り。


Ryoji☆のシンボリックモデル表現だと、Ryoji☆から外へベクトルが伸びている。

ここにエネルギーを使い、そして、なぜRyoji☆はそう描かざろう得なかったの、延々と長い言い訳が続く。

しかし、フォーカシングやプロセスワーク、そして、クリーンランゲージが起こすのは、Ryoji☆のシンボリックモデル表現だと、外からRyoji☆の内側へベクトルが伸びている。しかも、今回明確になったのは、2段階。1段階は人工的にどう起きているのか?をRyoji☆内で実験する。2段階目は、より深くなり、自他一体の時空間そのものが何をRyoji☆に告げようとしているのか?へ進む。恐るべきことに、この2段階目の境地は、ブッダが慈悲と語った境地に近い。存在そのものがいとおしい。倫理的な意味で無く、そうとしか感じれない世界の境地なのだ。


「とくちゃんは考えすぎ!」(笑)で、その方が指摘したかったのは、世界をあるがままに受け止める。ただそれだけのシンプルなことであるはずなのに、Ryoji☆は常に膨大なエネルギーを費やして、それがそうである理由を延々と述べ続けるようとする。なので、「とくちゃんは考えすぎ!」(笑)でしょ。そんなに肩に力を入れて、かつ真剣に語ることはないじゃないの?と、ついつい言いたくなってしまう。

10年かけて、いろいろやってきたおかげで、クリーンランゲージでRyoji☆のシンボリックモデルを探求すると、あぁ、確かに「とくちゃんは考えすぎ!」(笑)だ(苦笑)。いろいろ言いたくなってしまうのだけど、そこを語っても生産性がない。それを語れば気持ちのすっきり感はある。しかし、本来起こしたいのは、今ここで起きていることを手がかりに、私たちの関係性を新たにしていくこと。そのために何ができるのか?だったのだから。

コーチングで何度やっても、延々と語る癖を止められなかったのだが、今回のセッション一発で、もうそれができなくなってしまった(涙)
物心ついて以来培って来た思考パターンを変えざろう得ず、ある意味、クリンランゲージの威力にすごさに困った。
苦悩好きだったのに、苦悩に浸ることが意味がないと、これ以上ないほど納得した。