エルダーシップへの道

1/22Kおちゃんとインクルーシヴセラピー読書会を行った。

Kおちゃんが直感として、色々な人が色々なことを言ってるけど、人としての高みの境地、仮にそれをエルダーシップとするならば、どの流儀であろうが、同じ地点を目指している気がすると繰り返し語った。

ブッダ、プロセスワーク、ハコミ・セラピー、フォーカシング、セドナ・メソッド、サーヴァント・リーダーシップ、ORSC…、そしてインクルーシヴセラピーも。
お互いの学んで来た知識と体験から繰り出すと、確かにKおちゃんの直感は的を射ているように感じられる。

敢えて単純化して語るなら、それは2つの世界への見方のうち、ある一方の大事さを述べいる。
一つは、白黒、言語上の論理に乗り、過剰ポテンシャルをかけまくって、世界とは「こうでしか有り得ない」と考え、行動する世界への見方。
もう一つは、あるがままに内に起きる気持ちを押さえる。かつ、まだ知らない未知なる可能性に開き、理解は出来ないけれど、得体のしれないそれに従って、内に何が起きるか?確かめていく世界への見方。

Kおちゃん説に乗っとるならば、後者への道をどうやって達するか?の違いに響く。そこに至るやり方は、各流儀のようにたくさんある。何故そう考えるか?の説明、理論もいっぱいある。しかし、結局の所、たどり着こうとしといる彼岸は同じように感じられる。だから、自分が好きなやり方でたどり着けばよい。

Kおちゃん曰わく、昔の賢人と呼ばれる人が懸命に修行してたどり着いたその境地に、現代の私たち、Kお&Ryoji☆は、より短い時間でたどり着いてる。ということは、今時代はそちらへと流れようとしているのではないか?


このインクルーシヴセラピーにしても、サーヴァントリーダーシップにしても、本当によき会、味わい深いなぁと感じると、「あれは一体何をやり取りしたんだっけ?」と記憶に残らない。それは言語明瞭で説明可能な領域を超え、無意識(もしくは身体性)への働きかけなのだ。それは頭で理を尽くして語るマインドではなく、まだ言語で捉える前の、だけど存在から溢れる何か?だから、マインドだけで理解しようとすると理解出来ない。言葉にならない。言葉にした途端、矛盾する。しかし、諦めて、あるがままを受け入れ、わかんないけど起きる何かにフォローするとした途端、事態は流れ出す。「あぁなんだ!過剰ポテンシャルを手放せばよかったんだ」と。逆に言えば、それだけ自我に私たちは執着している。そうでなければ、生が保てないと思い込んでる。しかし、無意識(身体性)は遥かに賢い。一体どうしたらよいか?よく知っている。

このほんの少しの世界観の違いが、結果として生きやすさ生きづらさの違いを生む。しかし、知って訓練を積めば誰でも、その平安さに達するはずだ。
そしてキーになるのが、一人では難しい。他者との関わりの必要性。昔の人に比べ、ある程度の境地にRyoji☆が達することが出来たのは、より効果的に他者に関わって貰えたからだ。フォーカシングの創始者のユージン・ジェドリンさんも「一人でやるフォーカシングはフォーカシングじゃない!」とまで言っている。より孤独になるためには、他者の介在が必要なんて、たいした逆説だ。