崩壊する境界線

POPの藤見先生の話を聞いていたら、これまで「これがリアルだ」と境界線を引いていたことが、夢領域と混じり合って、気持ちが悪い。藤見先生ご自身の論理は明快で、実に理解しやすい。しかし、場で生じている「間主観」が気持ちが悪い。人の個別性に準拠して情報を蓄積し、少しずつ欲望を理解して行こうとするRyojiにとって話し手が誰かは決定的なのに、いきなりまったくレベルの違う話が違う話し手によって展開する。何度も周りの状況から、浮いているRyojiに気がついた。今、興味を持っている「対話」の概念とも違う。しかしちかしい。内容は分かったし面白いのだけれど、異界との縁にいきなり立たされ、気がついたら己を超えた何かと向き合っていた。そんな感覚がする。分かれたる私という感覚を揺さぶられる。個と全体の融解。これはRyojiにとって不快。

これは同時にRyojiの中の「親しくなる」という感覚とも連動している。どうも近しくなると、ものすごく恐怖を感じる。一定の距離があって、自由に遁走できるというのが安心。その癖、独りは寂しい感覚はある。きっとその当たりにRyojiの謎があるらしい。