マイ・コーチとのセッションで、Beingの提示に向けて新しい回路を模索していることが見えてきた。エネルギーのありようが分かりやすく違う。なぜ違うか?理由も分かる。軸がハッキリしているか?の違い。その視点を選び続ければ、間違いなくRyojiは全きRyojiとなる。
ただ、これまで軸をなぜ定めきれなかったかと言えば、決められなかった。迷いがあった。外からNoを突きつけられた時、受け止め流すありようが無かった。その一撃に力むのでなく、逸らすのでなく、柳に風となれなかった。Dんな曰く、爺々になれなかった。今、意識して爺々化のRyojiもあろうとしている。理想に燃え、青春してるRyojiもいる。
果たしてどこまでやれるんだろうか?ひどく不安になる。ただ忘れないのは、ゆっくり行くことと慈しみの心。もうこの2つは何があっても手離さない。どこまでやれるか。今はひたすらやってく。
慈経―ブッダの「慈しみ」は愛を越える (「パーリ仏典を読む」シリーズ (Vol.1))
- 作者: アルボムッレ・スマナサーラ,日本テーラワーダ仏教協会出版広報部
- 出版社/メーカー: 日本テーラワーダ仏教協会
- 発売日: 2003/11
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 20回
- この商品を含むブログ (11件) を見る