職場でも学校の授業形式とは!

1人で勝手に怒っていることに、現在会社で研修とか集合してやる会とかをやる時に、なんの疑いもなく、講師一人生徒多数の一斉講義方式がとられていることがある。なんだこの不毛さは。

学問と違って、知識を幾ら伝達しても、それを現場で使えなければ、職場の研修では意味がない。ヒーマン・パフォーマンス・インプルーブメント(略してHPI)の考え方では、研修もまた、現場での行動を変える一つの手段であり、大事なのは、現場で行動変容が起きること。
Ryoji☆はコーチングに出会って思い知った。「頭でわかってるけど、出来ない!」これは衝撃だった。コーチングの知識は学ぶ前から本でわかっていたつもりだった。しかし、具体的にやってみると、わかってないこと。言われたけど、ふんふん、と通過していたことが、出来ないことを通じてわかった。かつ、お互いの体験の中から気づきをシェアした方が、本に書いてあるよりも、ダントツ説得力がある。バシッと納得する。本に書いてことは間違いではない。しかし、その裏付けとなる根拠がRyoji☆内にないので、理屈は理解出来るけど、でもなんで?という疑問がどうしても上がってしまう。


何かを伝える。教える場合、(1)知識(2)技能なのか?に寄って、伝えるやり方が違う。特に(2)の場合、本人の振り返りが欠かせない。技能は本人自身が体感覚と出て来たアウトプットを照らし合わせるしかない。自己内対話なくして熟達はない。
かつ、聞くだけの学びは、努力がいる。聴くは難事。中原淳さんが、ラーニング・バーで、従来は、聞いて聞いて聞いて帰るだったけれど、聞いて考えてしゃべって帰るにしますと宣言された。体感するとこの方が、学びの質が高い。しゃべる過程が入ると実感するのは、異質の大切さ。みんなで同じ視点にハマるのではなく、異質な視点があると、より理解が深まるのが分かる。異論異質は大歓迎なのだ。
どんなによき話でも、受け手がそこから意味を自分ごととして自ら生み出さないと、ちっとも学びにならないのだ。

学びの楽しさとは、対話を通じて、より理解が深まっていく所にある。(逆に怖さも)慣習を超えて、意図と現実をリンクさせる。


人と人が知り合う面白さって、一人では出来なかったことをみんなだったら乗り越えることにある。

現場に戻った時に起きて欲しい行動変容は何か?
それを達成するためにどんなサポートがあれば、現場でその人は行動変容を起こせるのか?
それは研修で伝えるのが可能なことか?研修でやっても効果が薄いことか?研修以外にどんなことが役立つか?

人には得て不得手がある。全部出来る必要はない。人とうまく協働していけるなら、不得手は不得手のままでよい。得手な人に手伝って貰えばよい。


人という小宇宙と出会い、共に学び合う楽しさをもっと知って欲しい。