何故「日本」を問うのか?

何故「日本」って何だろう?の旅に出ているのか?


改めて考えてみると、2008年のカナダ、モントリオールで開かれた国際コーチ連盟に参加して、日本って何だろう?と考えてさせられたのが、キッカケになってる。


嬉しかったのは、日本では当たり前に思われている、間や礼が、まぁコーチだからってもあるんだろうけど、歓迎され、もっと発信して欲しいって言われたこと。Ryoji☆的には意外だった。理解されないだろうって思っていたから、「もっと知りたい!」って反応は想定外だった。

で、じゃぁ発信しようと思った途端、難しくなった。日本を発信と言うと、茶道とか空手とかになるけど、それって今の日本の精神を代表しているのだろうか?現代の我々すら今の私たちを見失って、日本の幻影を追いかけるんじゃないか?日本の精神って何だろう?
日本人の私たちが日本について知らないのだなぁ〜って改めて気が付いた。


で、ふとした縁から紹介された「日本を感じる会」で、参加された皆さんの「日本」を感じさせて貰ってる。
いや〜歴史が古いといろんな知識が出てくるもので、知識レベルでは知らないことばかりだ。


で、一つ、日本人は言あげが下手って感じる。確かに言葉に仕切れない部分はあるけど、言葉に出来る部分も言あげしないのはちょっと違うと思う。
逆にアメリカ人は言あげ上手だ。しかし、逆にそうやって多大な努力を払って言あげしないと、舞台に立てないという苦労がある。多宗教多民族多言語なので、まずは言語で伝えないと、存在しないと見做されてしまう。言あげは必須の力なのだ。だから大学の基礎科目として、どうアピールするか?がある。


ここまでを整理すると、日本を知りたいのは、世界へ「日本ってこんなん」って言あげして、日本が大切にしている価値を伝え、で、同じように世界中の人たちが大切にする価値を言い合う中から、私たちたちの大切なものへと行く可能性を開きたい。
根底にある願いは、ゲームの傍観者ではなく、プレイヤーとしてみんなとゲームしたいってこと。
モントリオールで同時に感じたのは、違ってるけど似てるなぁって。表現の型は違うけど、表したいと願う元は一緒くさいって感じた。全く背景違うのにね。