ライト化:大河ドラマ「江」・「もしドラ」・教養クイズ番組

前置きとして、いい悪いを言いたいのではなくて、今、そういったドリーミングの中(共同幻想)に私たちは今浸っているよってことを言いたいってことを言っておきます。


現在放映中のNHK大河ドラマ「江」について、Dんなが「大河ドラマ、まるで歴史マンガを見てるみたい。」とコメントしていて、「成る程なぁ〜」って感じた。

これまでの大河ドラマって「人間とは何か?」生きることの苦悩、平和を求めながらままならない狭間に苦しむ人を描いて来た、どちらかというと重厚な印象を持っていた。その当時の歴史的な背景と現代の悩みがシンクロして、あぁどの時代を生きていても苦悩ってあるよなぁって感じる内容だった。ある人物の幼い頃から死ぬまでを追うので、人としての成長を感じられるのも、見ていて味わい深いところだった。

しかし…。今回の「江」は全く違う。

「なんなんだ〜これ?」って、違和感がうまく言い表せない時に、「歴史漫画」と言って貰えて、腑に落ちた。そうか、大河ドラマで歴史漫画を描きたいんだって。

今までRyoji☆が最大に違和感を感じたのは、信長を討って数日経った明智光秀が、その謀反の心境を江姫に率直に吐露するシーン。ありえない!この時の江はまだ人間的にも成長していない、天真爛漫なお姫様で、そんなお姫様の無邪気というか、政治を解せぬものいいに、部下の怒気を制し、つぶやくように語る。

ドラマはドラマなりのリアリティを堅持するから、嘘が真に感じられ、今の私たちにも響くものがある。それを失ってしまっては、演劇は演劇としての価値を失う。

どう考えても、この時代の政治ドラマと、まるで関係ない江姫を時局に関わらせるためにこしらえた、脚本家の苦心の嘘というのが見え透いた。しかも、劇的なシーンにしたいために、歴史家であれば禁欲し、例証としてのそこまでの行動を記述し、推測を述べる所で、全部言い切ってしまう。それは頭で綺麗に理解できることで、生の生々しさ、生の矛盾への苦悩とはほど遠い。


リアリティ :現実→反応&行動
「江」   :概念→空疎な言葉&苦悩の演技


しかし、そこまで感じない人には、これは面白い。歴史的な劇的なシーンが次から次にジェットコースターのように、江姫に降り注ぎ、時代の生き証人となっていくのだから。ドラマチック。ロマンを広げられる。まさに漫画なのだ。



現在、図書館のついての大学の授業を受けている中で、ここ2年程のベストセラーを先生が紹介してくれて、先生が「ライトノベル化している」とコメントされていた。

2009年 「1Q84」(1・2)200万部
    「読めそうで読めない間違えやすい漢字」
2010年 「もしドラ
    「バンド一本でやせる!巻くだけダイエット」
    「体脂肪計タニタの社員食堂
    「1Q84」(3)

確かによりライトへライトへ、手軽に手軽にって傾向はあるのがわかる。
そして先生は、昔、新書とは専門家の話を一般向けにわかりやすく書くってものって位置づけだったけど、今はこれ1年ももたないんじゃない?ってぐらいのネタで新書になっている。これもまたライトへライトへって傾向だ。


そして、最近目に付くなぁっていうのが、教養クイズ番組だ。
昔からクイズっていうので、テレビ番組になっていたけど、それは雑学王って観点で、芸能人がチームに分かれて、今みたいな雑学ってよりは、より役に立つことって観点が新しいと思う。
池上彰さんのニュースをわかりやすく伝える番組もよくみる。


あえて不正確で大風呂敷な言い方をすると、1960年代ぐらいまで覆っていたみんなが信じる大きなストーリーが崩壊し、1980年代はスキゾ、構造から逃げるってことが大事だ!って波が起きた。2000年代に入り、インターネットの普及により、私たちは欲しい情報が即座に大量に手に入るようになった。大きな物語を語るのがダサイし、豊かになり、価値観の多様が許容されるようになったことで、手軽に体験できる快が、みんなが共通に感じられる共通項になった。

しかし、この学び方ブームやら、お手軽実用が受けていることから、表層レベルと深層レベルの分極化もまた進行している気がする。
時間も手間もかかるけど、本当に大事にしたいことをみんなで語り作り上げる動きを大事にして行きたい。