感謝はすれど認知はせず

感謝と認知は違うって知ってたけど、言葉がけレベルだと共通してることが多くて違いがよく分かってなかった。それが「成る程!」という実体験をした。


感謝されたら嬉しい。

しかし、それはそれ以上のことはない。挨拶みたいなものだ。リズムを刻む。
一方、認知はスペースを作る。居場所を与えてくれる。その言葉が残る。言われた方は何度も反芻する。時に感激を伴う体験となる。
認知を感じると、敬意が払われたことを知る。

光を見ようとする姿勢は大切だけど、それだけだと闇は蔑ろにされた感じがして益々その暗さを増し、逆襲する。最初から優しく「どう?」って言って貰えたら「あのね〜」ってポツリポツリ言えるけど、その負の波動が高まっていく中でガァーと無視された怒りをプラスして暴力的に吐き出される。
そこに潜むのは、出来事ベース。人ベースじゃない。
扱われないことへの悲しみ。痛み。


あなたは私を見ていない。


その小さな無視がRyoji☆を苛立せる。


じゃ何が認知を起こすのか?
相手への関心。敬意。眼差し。
それは決して言葉づらだけじゃない。態度や雰囲気そのものなんだ。姿勢が現れる。


ここまで書くと、Ryoji☆はいつも敬意を持って関われてるのだろうか?と、Ryoji☆自身に問いが戻ってくる。
出来る出来ないという視点を手放すと、そう在りたいと願ってるんだなぁ。

10/22のMtgでAゆちゃん・Uめ花ちゃんから声を掛けられた時、その認知はRyoji☆の心の底に届いた。そう、あんな2人のように人と関わりたい。アンソニー・ロビンスのDVDで強調されていたのは、「今にいる」だった。瞬間ちゃんと今にいて相手を見る。それ何だろうなぁ。