「不快」と共にいる修行?

近頃耐えられないなぁと感じることに、ワークショップで長々と個人ストーリーを語るってことがある。不思議なことにもっと聞きたい!っていう個人ストーリーもある。何が違いか、さっぱり判らないのだけど、イライラしていることに気がつくようになった。

大抵イライラするのは、話をしている本人も何を話したいのかわからず、でも刺激されて、話さずにはいられなかったという時。聞いていて疲れる。本人もヤバイってわかっているのに、語るのを止められない。

コーチングやらフォーカシングやら、Ryoji☆自身を見つめるという作業を繰り返して来たので、雑音だらけか、自覚しつつあるか、の差異が聞き取れるようになった。

不快。

「あなたはここに来る前に、個人セッションで、自分の内なる問題を解決してきた方がいいよ」と、お節介を焼きたくなってしまう。

そこで、自らを乱さず静かに佇んでいるのは、かなりハードな修行だ。

ハッとあたりを見回すと、上手く佇んでいる人が目に入る。あることを認めて手放す。実に自然体で清々しい。

あぁまだまだ人生修行が足りないなぁ〜。