大きな主題とは何か:magnificent_selfを見い出す

たけしさんが今アメリカのCTIのコミュニティーで「『大きな主題って何か?』って話題になっていて、magnificent_selfが議論のキーワードになっている。」と教えてくださった。

ここから勝手にRyoji☆が想像すると、多分ゾーンに入ったとかフロー状態ってことがある種、その人のmagnificent_selfが漏れ出ているんじゃないんだろうか?

「本当はどうしたいのか?」を突き詰めると、「あなたがあなたらしさを最大限発揮したらどうなるんだろう?」と、同種の問いになる気がする。


多分これがコーチングの奥義だ。


そう考えるとDんなが「Co-Active Coachingの考え方はよく出来ている。とくちゃん。苦悩もいいけど、もう一度原文を読み直してみてよ」と示唆してくれるのもわかる気がする。

苦悩状態にある限り、絶対にmagnificent_selfの発想はない。そもそも自己批判や妄想による不安だらけなので、他者を顧みる余裕なぞありはしないのだ。


自己認識と他者認識によるmagnificent_selfは乖離することがある。だからこそ、他者が期待や評価を超えて、見え隠れする相手の可能に好奇心を向け、それを言葉にして明示することが大切だ。

この問いが呼び覚まされた次は、じゃどうやって周りと折り合っていくか?になるだろう。そこで多くの人は己の可能を探求することを諦めてしまう。


しかしCo-Activeは、ここで諦めない。際立った個性同士がいかにシナジーを産むか?その可能に賭ける。その道は常に残されていると考える。実際どうかは、別として実に強靭な思想だ。果たしてそんなことが神やOnenessといったメタ概念を持ち出すことなく、普遍性を持って主張出来るのか?今のRyoji☆には判らない。