Fulfillmentへの罪悪感

コーチングで感じる違和感の一つに、Fulfillmentの扱いがある。


最初に知った時、「なんて無責任な!」って思った。「誰一人間違っていない」という仮説から、何にワクワクするかも自由となる。しかし、各自が好きなことをやり始めてしまったら、秩序はどうなるんだ!収集のつかない混乱を呼んでよいのだろうか?

そして、知識や近しい知り合いに、明らかにFulfillmentじゃない、立場に置かれている人たちがいる。私1人がそんな人たちの存在を忘れたかのように、浮かれて「生きててよかった♪」なんて浸っていてよいのか?

それから、それは苦しみを増幅するだけじゃないのか?そんな風にフワフワして、結局現実は何も変わらない。その落差を感じることは、痛みがより大きくなる。だったら最初から夢なんか見ないで、堅実に行くべきじゃないのか?

コーチはほんとにその喜びを理解しているのか?機械的にそんなスキルがあるから聞くけど、クライアントさんが展開している話には全く興味がない。冷静に観察して、「あ、エネルギー上がりましたね〜」て、言ってるだけなんじゃないか?

話の帰結は、じゃそれに向けて一歩を踏み出だそうとなる。でも、なかなかそんなことが出来ないから、苦しいんじゃないか!出来るんだったらとっくにやってるよ!コーチング・セッションのために話を合わせてるだけじゃないのか?コーチにゃ悪いけど、話合わせて、その場だけ盛り上がって、後は忘れる…。あの場のノリだから。

ことほどかように、Fulfillmentには疑問・疑惑・罪悪感を感じる。

そして、こんなに疑の心に捕らわれたRyoji☆に、クライアントさんのFulfillmentを扱う資格があるのだろうか?(ため息)